上杉周作

教育xITの「ハイプ・サイクル」に負けないために

この記事は、プログラミング教育について語るブログ「senseicode」に書いた記事の転載です。

学校の先生方へ

ハイプ・サイクル」という単語をご存知でしょうか? IT業界ではよく使われる単語なのですが、それ以外の業界ではあまり聞かない言葉かもしれません。

流行り

「ハイプ」とは「誇大宣伝」という意味です。新しい技術が登場して人気に火がつくと、「画期的!世界を変える!」とメディアが誇大宣伝します。2016年の現在ですと、たとえば車の自動運転が話題になっていますね。

画像ソース

オリンピック効果なのか、トヨタ・ホンダ・日産はどれも2020年までに自動運転を実用化すべく開発競争をしていたり、政府は2020年までに自動運転タクシーを実用化すべく規制緩和を試みているなど、話題には尽きません。

廃り

いっぽうで、新しい技術には失敗がつきものです。つい数日前、自動走行中の車として初の死亡事故が起きてしまいました。

米電気自動車ベンチャー「テスラ」は6月30日、同社製の自動車で自動走行中に死亡事故が起き、米高速道路交通安全局が調査を始めると明らかにした。AP通信によると、自動走行中の車としては初の死亡事故という。(朝日新聞 / 2016年7月1日)

自動運転がこれからどうなるかは分かりませんが、新しい技術に期待されたほどの効果が出なかったり、ネガティブなニュースが散見されだすと、人々が幻滅したり、ユーザーが離れたりします。そして多くの技術は、廃れたまま消えてゆきます。

一般化

しかし、幻滅期を耐えきれば、技術はゆるやかに世の中に浸透していきます。

代表的な例が日本のIT産業です。日本にインターネットがやってきた90年代は「ビジネスのあり方が変わる」と一部でもてはやされましたが、2000年にITバブルが崩壊し、2006年にライブドア・ショックが起きると、ITにたいする世間の目は冷ややかになりました。もしもこの時代に、政府が「プログラミングを義務教育に」などと言っていたら袋叩きにされていたと思います。

しかしこれは一過性の問題でした。2010年代に入ると、ソーシャルメディアやスマホの浸透をきっかけにIT産業が再び勢いを盛り返しました。IT産業が幻滅期を乗り越えた今だからこそ、政府も「プログラミングを義務教育に」と大声で言えるのです。

ハイプ・サイクル

テクノロジーの流行り → 廃り → 一般化という現象には、アメリカのIT調査企業ガートナー社が「ハイプ・サイクル」という名をつけています。

そしてガートナーは、ハイテク技術の各分野において、毎年「どの技術が、いまどのハイプ・サイクルの位置にいるか」というレポートを出しています。日本ですと、「ウェアラブルデバイス」や「モノのインターネット」が2015年時点でのピーク期だそうです。

教育×ITのハイプ・サイクル

プログラミング教育は、「教育現場でITを使おう」という大きな流れの一つです。他にはデジタル教科書や教室でのタブレット利用などが思い浮かびますね。「教育×IT」の分野は英語では「エドテック(edtech)」と呼ばれたりしているので、ここではこの用語を使います。

では、エドテックは現在、ハイプ・サイクルのどの位置にいるのでしょうか?

ぼくが働いているシリコンバレーのEdSurge社は、アメリカのエドテックについてedsurge.comという自社メディアで報道していて、執筆時点では(この先どうなるか分かりませんが)教育業界にそれなりの影響力を持っています。そんな弊社の社長は、「エドテックは現在、ハイプ・サイクルで言うところのピーク期を通り過ぎ、幻滅期に差し掛かっている」と発言していました。

ぼくは2015年11月に「新しい教育の話をしよう」というアメリカの教育史の記事を書いたのですが、そこでアメリカのエドテックの市場規模について少し触れました。

1. ハードウェア市場: 2014年には、アメリカの小学校から高校向けに、合わせて1300万台のPCとタブレットが販売された。アメリカの小学生から高校生の数は約5000万人で、教員の数は約300万人。教員の数を差し引いても、生徒の約4~5人に1人が新品の端末を持っている計算になる。中古の端末も使えることを考えれば、生徒と端末の比率は2~3人に1台、と考えて良いだろう。デバイスの販売数も2013年から2014年に33%増加したので、アメリカの全生徒が端末を持つ時代も近い。

ちなみに急成長を遂げているのは、日本でも去年販売が開始されたChromebook。2015年の6~8月の間では、アメリカの小学校から高校向けに販売されたデバイスの半数がChromebookだったという。

2. ソフトウェア市場: デジタル教材などの「教育向けソフトウェア」の市場規模は、2014年のアメリカで約1兆円だった。これは同年度の日本の学習塾・予備校市場(約9500億円)とほぼ同じだ。

日本の生徒数は少子化の影響でアメリカの生徒数の約3分の1である。だが、日本の学習塾に使われているお金の約3分の1が、日本で教育向けソフトウェアに使われているか?と考えてみると、答えはNoだろう。それだけ、アメリカでは教育のデジタル化が進んでいるということだ。

3. ベンチャーの資金調達市場: アメリカ国内のエドテック企業によるベンチャー資金調達額は、2014年だけで約1700億円を超えた。日本の「全」ベンチャーの資金調達額を合わせても2014年で約1200億円と、アメリカのエドテック業界の約3分の2しかない。

「そんなにベンチャーが資金調達をしているのなら、アメリカの教育×IT業界はバブルなのでは?」という見方もあります。ぼくもそう思いますし、今年から来年にかけて多くのエドテックベンチャーが廃業すると言われています。だからこそ、アメリカの教育×ITはハイプ・サイクルの「幻滅期」手前の位置に立っているのです。

いっぽう、日本はどうでしょうか? ぼくは日本の教育事情にはあまり詳しくありませんが、日本の教育関係者に話を聞く限り、教育現場でのIT活用において、日本はアメリカに遅れをとっているようです。私立校や一部の公立校においてITを積極的に使っている事例は日本でもありますが、少数派だと聞いています。

ハードウェアの市場規模は金に任せてPCとタブレットをバラまけば日本でも追いつけるかもしれませんが、ソフトウェアの市場規模で追いつくのは一朝一夕にはできないでしょう。さきほど、「アメリカのエドテック企業によるベンチャー資金調達額は、2014年だけで約1700億円を超えた」と書きました。これは大学や社会人教育のベンチャーも含んだ数字なのですが、「アメリカの小・中・高」向けのエドテックベンチャーだけを見ても、2015年に総勢で800億円近い額を調達しています

ぼくが聞く限りは、日本のエドテック企業はまだバブルになるほど盛り上がっていないと思いますし、ピーク時でもアメリカほどにはならないかもしれません。

これから日本のエドテックが上手くいったとしても、どちらにしろ幻滅期は訪れることでしょう。

余談ですが、ぼくがこういう記事を書くと、「そもそも教育にITは必要か」というコメントが付くのですが、いったんその議論は棚上げします。

ひとつ申し上げておくと、2014年に教育NPOのSpeakUpが調査したデータによると、アメリカの学校の校長の93%が「ITを効率的に利用するのは教育において必要不可欠である」とし、また子どもをもつアメリカの親の84%も同様に答えているようです。また、2016年のEdgenuity社の調査によると、アメリカの先生の91%が「ITは、それぞれの生徒の学習ニーズに応えるのに役立つ」と答えているようです (サンプル数=400)。

では日本の先生はどうか。2011年に開始した文科省の「学びのイノベーション事業」の調査で、ITを「実際に教室で活用した」教員のあいだにおいては、アメリカと同じく9割近くの小学校・中学校教諭が「ITは生徒の学習の役に立つ」と答えています。

「そもそも教育にITは必要か」という質問にたいしては、「実際にITを教室で利用したことのある学校の先生方の多くが、ITは生徒の役に立つ」と思っているのであれば、「教育にITは必要である」とぼくは答えます。

エドテックの幻滅期・Amplifyの話

ハイプ・サイクルの話に戻ると、「幻滅期」には「悪いニュース」がつきものです。日本のエドテックはそこまで盛り上がっていませんが、それでも「悪いニュース」はとくにプライバシー関連でちらほら見かけます。ちょうど2年前の2014年7月にベネッセから個人情報が大量に漏洩したり、最近では数万人分の成績表がハッキングされたりしましたね。あとはLINEいじめ関連でしょうか。

では、アメリカのエドテックが幻滅期に差し掛かっていることを示唆するような悪いニュースはあるのでしょうか。この質問をアメリカのエドテック業界の人たちに尋ねると、異口同音に「Amplifyの失敗」をあげる人が多いです。日本ではそこまで知られていないようですが。

Amplifyとは何か? 2012年に日本語で書かれた記事がありますので、引用します。

巨大メディア企業であるニューズ・コーポレーション社が7月末、タブレット端末を活用した教育プログラム「アンプリファイ(Amplify)」の立ち上げを発表しました。アンプリファイとは、同社が情報通信大手のAT&Tと提携し、WiFiと4G網で駆動するタブレットや端末管理サービス、技術支援を活用した教育プログラム。これを今年の9月からスタートさせるというのです。

(中略) アンプリファイは、生徒の学習関連データを集約し、どのような箇所で生徒が学習上の課題を持っているかを包括的に把握し、学習カリキュラムの向上に役立てることを可能にします。現時点ではまだパイロットプログラムがリリースされただけで、詳細は今年の新学期シーズンの9月まで開示されないのですが、巨大な資金力を持つニューズ・コーポレーションが新しく取り組む事業ということで、大きな注目を浴びることになると思われます。

Amplifyは、タブレット・カリキュラムとデジタル教材・学習データや端末管理システムを一括りにして学校に売ろうとしたのです。日本の会社に例えるとソフトバンクのような、資金も豊富にある大企業が大きな賭けに出たということで話題になりました。

Amplifyの代表取締役には、全米最大の教育部門を率いた経験のある、元ニューヨーク市教育局長のJoel Klein氏が就任。ちょうどアメリカ政府やゲイツ財団が教育×ITの分野に大量の資金を投下しだしたタイミングとも重なり、「時は今」とうたわれました。

(画像元 / Chester Higgins Jr.)

タブレットはこんな感じで、デジタル教科書・課題やテスト・生徒同士や先生とのコミュニケーションツールなど、現場で必要な数々のツールが全て詰め込まれていました。

(画像元)

売り文句は「個別学習を可能にする」で、生徒が自分のペースで学習を進められるというのです。また、生徒の学習データを集めることによって、先生、もしくはソフトウェアが、生徒が躓いている分野を早期発見できるそう。

(画像元 / Abbi O'Leary)

Amplifyの失敗

しかし立ち上げから1年半後、Amplifyは思うように売れず、2014年に200億円以上の大赤字を計上しました。販売不振の理由は、(1)学校でのWifiが遅すぎてデジタル教材がうまく機能しなかったり、タブレットに不具合が出たり、生徒の不注意で壊れたりした。(2)「いままでの教え方のほうが効果的だ」「私の教え方に合わない」などと先生からの反対が強かった。などとハード面・ソフト面それぞれの理由があったようです。

2015年に入っても赤字を垂れ流し、けっきょく2015年の9月に身売りを発表。従業員1200人のうち500人がクビになりました

Amplifyの失敗はエドテックの失敗だったのか?

このニュースを受けて、ちまたでは「教育×ITはやっぱりダメだ」という空気が流れました。しかしよく見てみると、Amplifyの失敗は「エドテックの失敗」ではなく、「経営の失敗」だったようです。

まず、資金を投下するタイミングが悪かった。Amplifyは5年間で1000億円ほどの金額を投資しました。しかし、「前例のないビジネスモデルを構築する際、早過ぎるタイミングで過剰に資金をつぎ込むと失敗する」ことは、もはや経営者の間では常識となっています。Amplifyのようなものに対するニーズは少なからずあったのですが、ニーズ自体が弱く、多くの学校が「Amplifyのタブレットや教材は高すぎる」と思っている状態でした。こんなときにアクセルを踏んでも自転車操業になるだけです。

また、2013~2014年は学校側が「デジタル教材をどう授業に融合するか?」を考えている途中でした。学校側と試行錯誤しながら「新しい教室のモデル」をゆっくりと共創していければよかったのですが、Amplifyは過剰投資を回収すべく急ぎすぎたため、「お前らはAmplifyを使ってこう教えろ!」と製品の押し売りをしてしまったようです。

エドテックは成長を続けた

「ビジネスモデル試行錯誤中の資金投下」「顧客の声を無視」という典型的な「経営の失敗」をしてしまったAmplify。しかし、この間もエドテック分野は成長を続けました。

Amplifyタブレットが失敗した理由のひとつは、教室のWifiが遅すぎたからでした。Amplifyがデビューした2013年、アメリカの学校の7割は、Wifiが無いか、あっても速度が遅すぎて動画などが見られないレベルだったのです。しかし皮肉にも、Amplifyが身売りを決意した2015年、Wifiが貧弱な学校の比率は全米で2割にまで激減しました

また、Amplifyの失墜をよそに、2014年から2015年にかけてブレンド型の学習モデルが大きく認知されました。少し長くなりますが、ぼくが以前書いた記事「新しい教育の話をしよう」からブレンド型学習についての項を引用します。先生方でしたらブレンド型学習のことは耳にしたことがあると思いますが、いちおう念のため。

では、実際に学校でどのようにエドテックが使われているかというと、いま最も実用化が進んでいるのが「ブレンド型学習 (Blended Learning)」というモデルだ。ブレンドコーヒーが数種の豆を混ぜ合わせたものであるように、ブレンド型学習とは、従来型の学習とデジタル教材の学習をひとつの教室で混ぜ合わせる指導法なのである。

ブレンド型学習を行っている教室の様子はこちら。0:40に先生が講義をしている様子、0:45に生徒がグループワークをしている様子、0:48に生徒がデジタル教材に取り組んでいる様子が映されていている。また0:54に解説されているように、生徒は講義・グループワーク・デジタル教材の間を数十分間隔でローテーションする仕組みだ。

(中略) 少し前までは「反転授業」がアメリカのエドテック界では人気だったが、最近はブレンド型学習にトレンドが移ったようである。ブレンド型学習の本も多く出版されるようになり、「イノベーションのジレンマ」を書いたクリステンセン教授も、「Blended」というブレンド型学習の入門書ではしがきを書いている。

この「トレンドが移った」のが、ちょうどAmplifyが撤退を考え出した2015年のころだったのです。「Amplifyがあと2年遅くはじめて、しかも賢く経営していれば」と惜しむ声も、業界には少なくありません。

教育xITの「ハイプ・サイクル」に負けないために

エドテックは前進しているとはいえ、Amplifyのような「幻滅」事例はこれからさらに増えるでしょう。だからアメリカの教育×IT業界で働く人のあいだでは、「どうやって迫り来る幻滅期に備えるか」がよく話題にあがります。このことについて、近いうちに書いていきたいと思います。

次はこちらの記事をどうぞ