上杉周作

教育×ITと「選択肢が多すぎ」問題

この記事は、プログラミング教育について語るブログ「senseicode」に書いた記事の転載です。そして以下の記事の続編です。

学校の先生方へ

前回の記事では、テクノロジーの流行り → 廃り → 一般化をグラフで表現した「ハイプ・サイクル」について書きました。

そして、現在アメリカの教育×IT(エドテック)業界はハイプ・サイクルの「幻滅期」手前の位置に立っていると説明しました。今年から来年にかけて多くのエドテックベンチャーが廃業すると言われています。

また、Amplifyというエドテックの代表的な失敗事例をとりあげてこう書きました。

エドテックは前進しているとはいえ、Amplifyのような「幻滅」事例はこれからさらに増えるでしょう。だからアメリカの教育×IT業界で働く人のあいだでは、「どうやって迫り来る幻滅期に備えるか」がよく話題にあがります。

今回は「迫り来る幻滅期」に備えるべく、エドテックに人が幻滅してしまう理由のひとつである、「選択肢が多すぎ」問題を語ります。

「選択肢が多すぎ」問題

10年以上前に心理学者バリー・シュワルツ氏が行った講演「選択のパラドックス」を紹介します。YouTubeとTED.com上で累計1000万回以上再生された動画です。

ぼくのお気に入りの講演なので、動画をぜひ観てほしいところですが、外出先などで観れない方はこちらの書き起こしをご覧ください。

いちおう、要点を以下にまとめておきます。

  • 選択肢が多くあると、人は選択が非常に難しいと感じ、無力感にさいなまれる。例:提示される投資信託の選択肢が増えれば増えるほど、メリットがあると解っていたとしても、投資そのものを諦める人が増える。
  • 選択肢が多くあると、人は選ばなかった選択肢の良いところを想像し、選んだ選択肢に不満を持つ度合いが多くなる。例:マンハッタン在住の男性が、夏休みにビーチにやって来たが、「夏休みで隣人達もどこかに出かけている。今ならマンションの目の前の駐車スペースに車を停められるのに」と考えてしまい休暇を楽しみきれない。
  • 選択肢が多くあると、人は期待値を高く設定してしまい、結果に満足しにくくなる。例:ジーンズの種類が少なかった時代に買ったジーンズは履き心地が悪かったが、そもそもジーンズに履き心地を求めていなかったので構わなかった。しかしジーンズの種類がたくさんある今は、「どれかひとつ完璧であるべきだ」と思い、そこそこフィットしても完璧でないジーンズに満足できなくなった。
  • 選択肢が多くなると、人は満足いかない選択をしてしまった場合に自分自身を責める。例:ジーンズが1種類しかない時代だったら、ジーンズがフィットしなくても自分のせいではない。しかしジーンズの種類がたくさんある今は、フィットしないジーンズを買ってしまったら、それは自分が悪い。
  • 結論:自由経済が発達するなかで「選択肢は多ければ多いほど良い」という価値観が生まれたが、それは間違っている。選択肢は多すぎても、少なすぎても良くない。

思い起こすことはありませんか?買い物や食事、就職や恋愛など、選択肢の多さに悩まされる機会を数えたらキリがありません。

エドテックにおける「選択肢が多すぎ」問題と、ハイプ・サイクル

前回の記事でも少し触れましたが、アメリカでは教育×IT(エドテック)の市場が大きく、2014年だけで市場規模が約1兆円と、同年度の日本の学習塾・予備校市場(約9500億円)とほぼ同じでした。

さらにアメリカでは、エドテックのベンチャー企業も多額の資金調達を行っていて、日本の全ベンチャーが束になっても資金調達額で敵いません。

これだけ市場が大きく、またベンチャー企業に資金が集まると、当然のことながらエドテックのアプリやサービスの種類が増えます。エドテックの市場調査を行っている弊社(EdSurge)が把握しているだけで、アメリカの教育現場では2000以上のアプリ・サービスが使われています。これは幼児向けの知育アプリや、個人がスマホ向けに開発しているような小さな教育アプリを「含まない」数字です。

アメリカで使われている教育向けサービスやアプリのアイコンをひとまとめにすると、こんな感じになります(引用元)。

アメリカでは教育現場でエドテックが普及していますが、これだけあると現場サイドも「どれを選んだら良いか分からない」となってしまいます。

また教育の場合、間違った選択をした場合の損失も大きいです。たとえば生徒に「今日からこのアプリで算数を学びましょう」と言ったとして、一週間後に「やっぱりやめます」となったら子どもを混乱させてしまいます。あるいは、そのアプリを使い続けたとしても、学力テストの成績が下がってしまったらどうしようもありません。

また、生徒相手でなくとも、たとえば校長先生が先生に対して「これからは生徒の成績をこの新しいシステムに入力してください」と言ったとして、一週間後に「やっぱりやめます」となったら「せっかく使い方を学んだのに」と先生が怒ります。

ハイプ・サイクルが起きる原因の一つは、まさにここにあります。

エドテックが流行ると教育向けアプリやサービスが大量に生まれますが、それは「選択肢が多すぎ」問題を引き起こします。「(エドテックの)選択が難しいと感じ、無力感にさいなまれる」「選んだ選択肢に不安を持ってしまう」「上がった期待値に届かずがっかりする」「選択に失敗した場合、自分自身を責める」など、選択肢が多いことの負の面が表面化してしまうのです。

そして教育においては、選択に失敗したときのコストが大きいため、これらの負の面が他の分野より目立ちます。ゆえに懐疑派が「やっぱり教育にテクノロジーは合わない」という結論にたどり着くのです。

「多産多死」モデルが必要

学校の先生向けの内容とは外れますが、個人的な意見を少し述べさせてもらいます。

革新を起こすには、「多産多死」モデルが必要不可欠です。多くのベンチャーが登場し、多くのベンチャーが廃業するなかで、ひとつかふたつ「大当たり」するベンチャーが生まれ、それがシリコンバレーではFacebookやInstagramだったりするわけです。

新しい業界のベンチャーは「多産」でないと、その業界の存在自体が世の中に知られないまま終わってしまいます。「多産」だから「認知」されるのです。日本のエドテック業界は、アメリカのエドテック業界や日本のソーシャルゲーム業界に比べたら「多産多死」にはほど遠い。業界として生き残るには、まずそこを目指すべきだと思います。

ただ、エドテックのベンチャーにおいては多産多死モデルのメリット(数撃ちゃ当たる)をデメリット(選択肢が多すぎ問題)が上回りやすい。だから、エドテックは難しいのです。よく、エドテックが難しいのは「教育にテクノロジーが合わないから」または「教育は儲からないから」と聞きますが、どちらも本質ではないとぼくは思います。

最後に、「出る杭が打たれる日本ではベンチャーではなく、大企業が教育のIT改革を先導すべき」という声をたまに耳にしますが、教育においては、ぼくは日本の大企業には(一部を除いて)まったく期待しておりませんので、あしからず。

また、「アメリカは多産多死にさせておいて、日本はアメリカで生き残ったビジネスモデルを盗めば良い」という、俗にいう「タイムマシン経営」賞賛論もたまに耳にしますが、日米の教育文化はかなり違うので、タイムマシン経営は難しいのではないかと思っています。詳しくは、一年半前に書いた「アメリカの教科書はなぜ重たいのか」という記事をご参考に。

次の記事へつづく

次の記事では、エドテックにおける「選択肢が多すぎ」問題の具体例を、アメリカで話題になっている「アダプティブラーニング」をもとに解説していきます。「アクティブ」ではなく、「アダプティブ」です。併せて読んでくださると嬉しいです。