上杉周作

自分に足りないものよりも、自分に足りているものたちが、あなたの邪魔をしているのです

題名は、進路やキャリアについて相談を受けたときに、これから使い回そうと思っているテンプレート。「やりたいことがない」とか、「やめたいけど、どうすればいいかわからない」とか。

自分に足りないものよりも、自分に足りているものたちが、あなたの邪魔をしているのです。あなたに足りているものは何ですか?それは、「はじめからなかったこと」にできませんか?

締めくくりには、「あえて、自分にとって不利な道、茨の道を選んでみたらどうですか?」と添えておく。

ここ3年間、親しい人や知人、そして自分自身を観察した結果、自分に足りているものを捨てられた人たち、もしくはそもそも何も持ってなかった人たちが、けっきょく先に進んでいった。ぎゃくに、惜しい何かを捨てられなかった人たちや、いろいろ恵まれていた人たちは、揃ってみんな足踏みしていた気がする。

自分に足りないものを嘆くときよりも、自分に足りているものを捨てるときのほうが、頭を使うよ。自分にとって有利な道を行くときよりも、自分にとって不利な道を行くときのほうが、頭を使うよ。

価値観を押し付けるのは嫌いだけれど、唯一押し付けてもいいと思うのは、「こういう考え方もあるよ」「もっと頭を使えるはずだよ」ってことだと思う。偉そうでごめんなさい。

追記

話の本筋と少しずれますが、糸井重里さんの「ほぼ日刊イトイ新聞」、2013年10月10日の「今日のダーリン」より

後から参入する者に、場所なんか空いてないのだ。
空いているとしても、最悪の場所だけだ。
前々からそれをやっている者が、
めんどくさいから手を付けてない場所が、少しだ。
それが、いつも当たり前のことだ。

新しいなにかが生まれるのは、
場所なんかもらえなかった者たちが、
苦しまぎれに、「これしかない」とやったことからだ。
「少しだけ、空いてる場所を分けてください」と、
平身低頭してお願いしているうちに、
時間はどんどん過ぎていくし、
いい機会も得られないままになる。

鉄道をひけなくても、自動車があった。
映画をつくれなくても、テレビがあった。
大きな舞台はなくても、小劇場があった。
大きな同業者組合ができているようなところに、
新しく参入することを歓迎してもらえるのは、
「これまでの権利を脅かさないやつ」だけかもしれない。

場所なんか空いてると思わないほうがいいのだ。
居心地の悪い、座ればけつの痛くなるような荒地だけが、
新しい人びとがスタートを切れる場所だ。
おそらく、道具も揃っちゃいないし、
誰もが認めるすばらしい人なんか集まることもない。
しかし、そこが、場所なのだ。

若い人に言うことは、じぶんに言うことでもある。
あなたにも、ぼくにも、
用意された場所はなかったはずだし、
周到に計画された図面なんてものもなかったと思うのだ。
次の時代は、いつでも、
場所なんかなかった者たちの場所からはじまっている。
道具がなければ、じぶんでつくる。
人手が足りなければ、寝ないでもがんばる。
そういう古臭い冒険心みたいなものが、肝心なのだ。

「どこにも場所が空いてない」ということは、
いつも、新しいなにかの出発であった。

上の文章の「場所」を「道」に変えて読み直してみてほしい。