上杉周作

「継続は力なり」の「力」って何だ

「継続は力なり」の「力」は「説得力」だと思っている。

説得力の4パターン

誰かが何かを主張するとき、説得力の「ある」「ない」には2つではなく、4つのパターンがある。

1. 説得力がある

例をあげると、有名なプログラマーや教育者が「プログラミングを義務教育化するべきではない」と言えばこれに当てはまる。

2. 説得力がない

プログラミング未経験で、IT・教育・行政をはじめとする関連業界とも一切関りのない人が、なんとなく「プログラミングを義務教育化するべきではない」と言えばこれに当てはまる。

3. 主張した時点では説得力がなかったが、その主張のもと何かを継続した結果、説得力がついた

プログラミング未経験で、IT・教育・行政をはじめとする関連業界とも一切関りのない人が、なんとなく「プログラミングを義務教育化するべきではない」と主張する。

しかし「実際にやってみないと何とも言えないかも」と考え直し、子供向けのプログラミング塾を開講することに。その人自身はなにも教えられないが必死に講師を集め、「なんでお前がプログラミング塾やるの?」と陰口を叩かれながらも、みごと数年間で百人規模のプログラミング大好きっ子を輩出した。

そのタイミングで「いろいろやってみたが、それでもプログラミングは義務教育化するべきではないと思う」と言えば、「主張した時点では説得力がなかったが、その主張のもと何かを継続した結果、説得力が(以前に比べれば)ついた」ケースに当てはまる。

4. 何かを継続した結果、説得力を失った

プログラミング未経験で、IT・教育・行政などの関連業界とも一切関りのない人が、プログラミングを学びたいなと思い、プログラミングの短期講習に参加し、数ヶ月でアプリをリリースできるように。その経験をもとに「全く別の業界から来てもエンジニアになれる」と主張する。

しかし、3年経っても目立った成長は見られず、簡単なことはできるようになったが、ある程度難しいタスクはいつまでたっても上手くできない。

こうなれば、「何かを継続した結果、説得力を失った」ケースに当てはまる。「全く別の業界から来てもエンジニアになれる」という主張は、「全く別の業界から来てもエンジニアに『なること』自体は可能」などのような方向に舵を切らないと説得力を保てない。

はじめたころは「全く別の業界からの転職なのにすごいね」と未経験だったことが強みになっても、結果が出なければ「別業界から来た人はやっぱりだめだな」と弱みになってしまう。一度はひっくり返したステレオタイプが逆流して襲いかかると怖い。

ほかにも、「10年これをやっています」という人のパフォーマンスがしょぼすぎて、「10年やっててこれかよ」と思ったときもこのケースに近い。

むろん、継続すること自体が悪いわけではないし、継続することで見えてくるものもある。しかし、継続することで「周りの人間」が「その人」に対して見えてくるものもあるわけで、それはいとも簡単にマイナスなイメージに化けてしまうのだ。

「継続は説得力なり」なのか?

「継続は力なり」とよく言うが、信頼が通貨の社会人にとって、「継続は説得力なり」でもあることを忘れてはならない。説得力があれば仕事を任せてもらいやすいし、仲間も集めやすい。

そしてぼくの場合、「何かを主張しようとしたが、自分には説得力がない」ことには自分でもよく気付くが、「何かを継続した結果、説得力を失い続けている」ことには自分では気づきにくい。

あなたの知り合いが説得力のない主張をしたとして、「お前が言うな」と指摘したくなるのは分かる。けれども大抵、その人も自分に説得力がないことには気づいているものだから、放っておけばよい。

また、その人が主張にもとづいて何かを継続すれば、あとから説得力がついてくることもある。そうなれば、最後に恥をかくのは初めに批判したあなたのほうだ。

しかし、あなたの知り合いが何かを継続した結果、説得力を失い続けているのであれば、それはきちんと指摘してあげるべきだと思う。わずかに残された信頼が自然消滅していくのを食い止めたければ、いさぎよく継続を諦めるか、根本的に何かを変えねばならない。

アメリカのミズーリ州で行われる世界最大級のRuby on Railsのカンファレンス「Railsconf 2016」に向かう飛行機のなかで、ぼんやりとそんなことを考えていた。

追記

Ruby生みの親のMatz氏: