上杉周作

「どうすれば日本は良くなるか」という質問に対する、わたしなりの答え

2014/3/11に、わたしの無料メルマガで配信した文章をこちらにも載せることにしました。

あらかじめ断っておきますが、長文です。

有料メルマガが短いと「金払ったんだぞ」と文句を言われ、ぎゃくに長いブログ記事には「読む気がうせる」と文句を言われます。

「それでは、長い無料メルマガを書けば良いのではないのか」と思いたち、長文を書くために無料メルマガをはじめた次第です。この記事はそれを転載したものなので、長いのはご理解ください。

メルマガはQ/A形式で、この回では「どうすれば日本は良くなると思いますか」という質問に答えさせていただきました。


質問「どうすれば日本は良くなると思いますか」

長くなるので、3パートに分けて説明したい。パート1では問題を、パート2では解決方法のヒントを、そしてパート3では解決方法を紹介する。

パート1 (問題): 最大公約数となる問題意識

メタな話をするけど、街で人に「どうすれば日本は良くなると思いますか」と聞けば、答えは十人十色になる。Aさんはお笑いで日本を良くしたい、Bさんはスポーツで日本を良くしたい、Cさんは地方から日本を良くしたい、と続くのだ。

「ひとりひとり、日本のために何が出来るかを考えよう」というのは聞こえが良い。聞こえは良いが、わたしに言わせれば時代錯誤だ。

日本は借金だらけで、何もしなければ100年後の人口は1/3になる。全員がバラバラに、良かれと思う行動を取っている場合なのだろうか。どう頑張っても「十人十色」は「一致団結」に敵わないのに。

わたしが住むシリコンバレーには、世の中を良くしたいと思う起業家が集結している。ここの起業家たちに「どうしたら世の中は良くなりますか」と聞けば、返ってくる答えは人それぞれだが、必ずどこかで「技術の力を使う」という言葉が入る。最大公約数的に「技術で世の中を良くする」という考えが社会の根底にあるからこそ、シリコンバレーは一致団結して動けるのだ。

一方、「どうすれば日本が良くなるか」という質問に、今のところ最大公約数となりうる答えは見当たらない。かといって、「技術」をその答えとして抜擢すべきなのだろうか。

国は広い。

アメリカも、国レベルで「技術」を掲げているわけではない。あくまでシリコンバレーという都市レベルで掲げているのであって、たとえばロサンゼルスなら「エンタメで世の中を良くしよう」と言う人が多数派である。都市間競争とはそういうことだ。

シリコンバレー在住の身としては、日本にも「技術で世の中を良くする」ことを目的とした「中規模な都市圏」があれば良いなとは思う。だが、多様な大都市・東京への一極集中を選んだ日本はそういうのに向いていない。せいぜい秋葉原や原宿など、都市より一回り小さい「街」が頑張っているくらいだ。

だからこそ、「◯で社会を良くする」などの都市レベルで取り組むべき話、すなわち日本で実現が難しい話はしない。「お笑いで社会を良くする」「スポーツで良くする」「技術で良くする」といった議論が、日本全体の最大公約数になるわけがない。最大公約数にならないのなら、一致団結はできない。

よって今回は、都市の上にある「国」レベルから見て、日本は何をもって一致団結するべきか、何を最大公約数にすべきか考えたい。

日本の問題は「停滞」解決策は「人の移動」

わたしの認識では、日本のあらゆる問題は「停滞」という言葉で一括りにできる。日本では、停滞していない分野を見つけるのが難しいくらいだ。

かりに、停滞した分野Aがあるとしよう。Aが停滞しているのは、Aの内部から、停滞を解決できる人を輩出する仕組みが無いからである。ぎゃくに、その仕組みがあればAが停滞することはない。

よって、Aの停滞を解決するには、別の分野BからAに人が流れ込むしかない。

たとえばアメリカの例で言うと、音楽業界の停滞を変えたのはアップルをはじめとしたIT業界だ。映画「マネーボール」にもあるように、アメリカのスポーツ業界の停滞を変えたのは統計学者たちである。

Aがいかほど停滞していても、たいがいの場合、救世主になる分野Bは存在する。

忘れがちだが、Bは国外の分野でも良い。

かりに日本の将棋界が停滞していたとしよう。もし「将棋界が分野Aなら、それを救える分野Bなどあるのか?」と言う人がいたら、その人には想像力が欠けている。

たとえば、もしも世界中のトップチェスプレイヤーが一斉に将棋を学び、将棋界に参戦しだしたら業界は沸くだろう。実際にそれが起こる確率はゼロに近いだろうが、「日本の将棋界 = 分野A」にとって、それを救う「分野B」が存在するのは確かだ。

そう、停滞分野Aの問題は、救世主分野Bが見つからないことではない。救世主分野Bから停滞分野Aに「人が移動しないこと」が問題なのである。

救世主分野から停滞分野へ v.s. 停滞分野から成長分野へ

ここまできて「なんだ、解雇規制の話か」と思われたのなら大間違いだ。解雇特区を作ったら、日本の将棋界に世界のチェスプレーヤーが参戦するとでもいうのだろうか。

わたしの話は「どうやって停滞分野に救世主分野の人を移動させるか」についてであり、雇用法改革の狙いである「どうやって成長分野に停滞分野の人を移動させるか」とは少し違う。

沈没する日の丸家電を見て「停滞分野など見捨ててしまえ」と言うのはたやすい。

しかし、「救世主分野から停滞分野へ」「停滞分野から成長分野へ」を両立できない理由はない。理由がないにもかかわらず、「救世主分野から停滞分野へ」についての議論はあまり見ない。

さらに突っ込ませていただくと、「停滞分野から成長分野へ」と叫んだのち、その成長分野が停滞したらどうすればいいのだろう。

シリコンバレーと比べれば、日本のITベンチャー界は停滞している。だからといって「日本のITベンチャーから別の成長分野へ人を移動させよう」と言うべきなのだろうか。もともと、日本のITベンチャーは成長分野として期待されていたのではないか。

「停滞分野から成長分野へ」のような議論のみに頼ると、成長分野だったはずの分野が停滞したときに「また別の成長分野へ」という焼畑式の答えしか出てこなくなる。成長分野の数は限られているから、これは長続きしない。

先ほどの例だと、「シリコンバレーの人を日本のIT業界に呼ぼう」というのが建設的な発想だ。こういった発想は「救世主分野から停滞分野へ」という議論があってこそ生まれるのである。

では、どうやって救世主分野から停滞分野へ人を動かすのか。

そのヒントは、先月Yコンビネーターのトップを降りられたポール・グレアム氏にある。すこし話が長くなるがお付き合い頂きたい。

パート2 (解決方法のヒント): ポール・グレアム氏の話

ポール・グレアム氏についてご存知ない方のために説明すると、彼はシリコンバレーで一番有名な起業家養成プログラム・Yコンビネーターを創設した投資家だ。

他の起業家養成プログラムと比べると、Yコンビネーターは若くて優れたプログラマーを優遇する傾向にあるが、そんなプログラマー達を惹きつけられるのも、グレアム氏自身が優秀なプログラマーだからである。

グレアム氏はハーバード大でコンピューターサイエンスの博士号を取ったのち、Viawebという会社をYahooに売却した元起業家で、シリコンバレー随一の物書きとしても有名だ。起業にまつわる彼のエッセイ集を、現地の起業家コミュニティで知らない人はいないほどである(彼のエッセイの日本語訳はこちら彼の著書はこちら)。

9年間、Yコンビネーター代表としてベンチャー約630社に投資したグレアム氏だが、彼は先月引退することになった。これからはエッセイを書くことに集中するらしい。

引退発表の直後、日本のウェブ界でも彼の功績を称える記事がいくらか書かれていたようだが、それらの記事では目にしなかった考察をご覧にいれたい。

紹介するのは”Startup Investing Trends“と題された、グレアム氏が9ヶ月前に書いたエッセイである。日本語訳が見つからなかったのだが、もし訳されていたとしたら、タイトルは「これからのベンチャー投資の話をしよう」になるだろう。

このエッセイを要約すると「これからは、意思決定が速い投資家が生き残るだろう」「シリーズAで株を買いすぎない投資家が生き残るだろう」になるのだが、そんなのはわたしも理解できないしどうでもよい。

だが、どうでもよくないのは、彼がこのエッセイで使った言葉たちだ。

ポール・グレアム氏のエッセイで使われている、コンピューターサイエンス用語

前述したように、グレアム氏はコンピューターサイエンスの博士号を持っている。わたしはコンピューターサイエンスの学士号までしか持っていないのだが、未熟なわたしでも、このエッセイではコンピュターサイエンス用語がふんだんに使われているのが分かる。

その一部を紹介しよう。

まず、第三段落にはコンピューターサイエンスの用語が二回使われている。

The reason was that we discovered we were using an n^2 algorithm…. Fortunately we’ve come up with several techniques for sharding YC….

→ 「2012年夏に我々が失敗したとき、社内の意思決定プロセスは典型的な遅いプログラム(n^2 algorithm)のようだった。試行錯誤の末、Shardingと呼ばれる、データベースで使われる最適化方法の発想を取り入れて解決することができた。」

・・・といった感じだ。

(第10段落) The monolithic, hierarchical companies of the mid 20th century are being replaced by networks of smaller companies.

→ コンピューターサイエンスでは、hierarchicalnetworksはデータ構造を意味する用語で、それぞれ木構造、グラフ構造を意味する。

(第13段落) The number of desirable startups will probably grow faster than the percentage they sell to investors shrinks.

(第14段落) There are probably limits on the rate at which technology can develop, but that’s not the limiting factor now.

(第21段落) Will the number of big hits grow linearly with the total number of new startups?

→ コンピューターサイエンスでは、どの変数が一番速く増加するか(grow faster)や、変数の増加速度の限界(limiting factor)に注目することが多い。grow linearlyとは増加速度が線形成長であること。

(第22段落) …there will start to be an increasing number of idea clashes.

→ コンピューターサイエンスでは、2つの異なるデータから生成した値が等しくなることを「衝突」(clash)と言い、どんな場合に衝突が増える(increasing number of clashes)かを調べたりする。

・・・いかがだろうか。他にもいくつかあるが、くどいので次に進もう。

ポール・グレアム氏のエッセイから読み取れること

驚くべきことに、このエッセイはプログラマー向けに書かれたものではなく、投資家向けの講演用に書かれていたのだ。たしかに冒頭には”This talk was written for an audience of investors.”とある。

投資家向けの講演だったのにもかかわらず、グレアム氏はコンピューターサイエンス用語の数々を使ったのだ。わざとではなく、彼が書く文章には、自然にコンピューターサイエンス用語がこぼれ落ちてしまうのだろう。

このエッセイから3ヶ月後、グレアム氏は起業家向けに「どうやって資金調達をすべきか (日本語訳)」と題された、先ほどと正反対の視点からの記事を書いている。

彼が対象とする「起業家」は「優秀なプログラマー」なので、ここでは以前のエッセイよりも難しい用語が使われている。

When you talk to investors your m.o. should be breadth-first search, weighted by expected value.

→ 「投資家と話す順番は、それぞれの投資額の期待値(expected value)をもとに幅優先探索(breadth first search)アルゴリズムを使って割り出せ。」

・・・もはやプログラマーでないと理解できない。

自然にコンピューターサイエンス用語が出てくる彼の話は、われわれプログラマーに響く。たとえ題材が、プログラマーにとって興味のないものだとしても。

最近になって、グレアム氏ほどコンピューターサイエンスの素養のない投資家たちが、Yコンビネーターの投資モデルをパクろうとしているらしい。日本でも似たような話を聞く。

投資家たちはグレアム氏のエッセイを見て「これはプログラマーに響くだろうな」とは思えても、「どのように響くのか」を知ることはできない。その無知から生まれた差は、パクリファンドの低迷に反映されている。

では、彼のエッセイは、いったいどのようにプログラマーに響くのだろうか。

かりに、言葉が通じない国に旅行して、トラブルに巻き込まれたことを想像してほしい。現地人に助けを求めるも意思疎通ができず、諦めかけていたところに、「どうかしましたか」と日本語が聞こえた。その日本人は現地在住の方で、みごとトラブルを解決してくれた。

グレアム氏のエッセイは、その「どうかしましたか」と同じくらい、プログラマーに響くのだ。

グレアム氏は、プログラマーのみが分かる「コンピューターサイエンス語」を話す、「起業家コミュニティ在住」の人なのだ。

どんな文章にも、日本語・英語などの「言語と知られている言語」と、コンピューターサイエンス語などの「言語と知られていない言語」が混在している。グレアム氏のエッセイにコンピューターサイエンスの用語が自然と出てくるのは、彼がコンピューターサイエンス語を話すからだ。

日本語が日本人をつなげているように、コンピューターサイエンス語はプログラマーの心をつなげている。

プログラマーにとって、シリコンバレーのビジネス界は言葉の通じない外国のようなものだ。迷えるプログラマーたちに、グレアム氏の起業についてのエッセイがコンピューターサイエンス語で「どうかしましたか」と語りかけているからこそ、彼の言葉は響くのである。

パート3 (解決方法): 救世主分野から停滞分野へ人を動かす

パート1でわたしは「どうやって救世主分野から停滞分野へ人を動かすのか」と質問を投げかけた。今ならその答えが出せるだろう。

そう、答えは「救世主分野の言葉を話し、停滞分野で働く人が、救世主分野の人に向けて発信すること」である。

強力な発信者がいれば、救世主分野から停滞分野に人が移動するようになり、停滞分野は成長分野に変わる。

グレアム氏の例で言えば、「コンピューターサイエンス語を話し、シリコンバレーの起業家コミュニティで有名なグレアム氏のような方が、プログラマーに向けて発信すること」が、Yコンビネーター、ひいてはシリコンバレーの成功の元となっている。

パート1で紹介した「日本の将棋界 = 停滞分野」「海外のチェス界 = 救世主分野」の例を思い出してほしい。

かりに、海外のチェス界でも有名な人が、日本の将棋界でも勝ち星をあげるようになり、他のトップチェスプレーヤーに「お前らも日本に来て将棋やれ」と発信し始めたらどうなるだろう。

「お前が言うなら」と日本に渡るチェスプレーヤーが本当に出てきて、将棋界は新しい時代を迎えてしまうのではないだろうか。

ぎゃくに、海外チェス界の「言葉」を使いこなせない日本の将棋棋士が、チェスのトッププレーヤーたちに「将棋界に来てください」と言っても聞き耳を持たれるわけがない。

「お前が言うなら」v.s.「お前が言うな」の図式は、どんな分野にも当てはまる。

帰国子女の有識者が「日本の英語教育をなんとかしろ」と言うと、「その前に、日本語教育をきちんとするべきだ」と保守的教員に足を引っ張られ、帰国子女は「議論がsame pageでない」と言い返すも、いっこうに話は進まない。

だが仮に、日本語の小説で数々の賞をとった作家が、先頭をきって「日本の英語教育をなんとかしろ」と言えば、「その前に日本語を・・・」と反論できる人はいないだろう。

説得力って、大事だ。

その説得力は、ポール・グレアム氏が喋るコンピューターサイエンス語のように、自然にこぼれ落ちる言葉から生まれるのだ。

何度も繰り返すが、「救世主分野の言葉を話し、停滞分野で働く人が、救世主分野の人に向けて発信すること」が大切なのである。

提言1. それぞれの停滞分野にとって、正しい救世主分野は何かは大いに議論されるべき

まず、日本にはたくさんの停滞分野があるが、多くの停滞分野には、それを助けられる救世主分野がある。「救世主分野は絶対にある」と信じることから始めるのだ。

次に、それぞれの停滞分野に対し「救世主分野は何か」という議論を惜しまないこと。この議論が頓挫してしまうといけない。

たとえば、家入一真さんが都知事選に立候補したときのことを思い出してほしい。わたしの解釈が正しければ、彼は「停滞分野 = 日本の政治」「救世主分野 = 政治に興味のない若者・立場の弱い若者」と定義していた。

だが、「本当に、立場の弱い若者が日本の政治の救世主なのだろうか」という主張は、少なくともネット上ではあまり見なかった気がする。

たぶん、マトモに選挙を理解している人は「家入さんが勝てるわけがない」と思って放置していたのだろうし、家入さんを応援した人は「若者こそが未来だ」という主張に頼っていたからだと思う。

「若者こそが未来だ」とは否定しにくい主張であり、否定しにくい主張は危険をはらんでいる。

名著「失敗の本質」によると、日本軍が太平洋戦争で負けた理由のひとつは「最初の作戦が失敗した際の作戦」を用意しなかったかららしい。「最初の作戦が失敗した際の作戦は?」と尋ねた部下を、上官が「最初から失敗すると思っていたら勝てない」と一蹴してしまったのだ。誰も「必勝の信念」を否定できず、負のスパイラルに陥ってしまった。

議論停止は思考停止を呼ぶ。

政治に疎いわたしにだって、日本の政治は停滞分野だと分かる。だが、救世主分野は何だか分からない。何だか分からないからこそ、否定しにくい若者未来論から一歩引いて議論し続けなければいけない。

「やっぱりこの救世主分野はダメだ」と落胆されるのが一番危険なのだ。さきほどの例だと、選挙に負けたとたん「やっぱり若者はダメだ」といった論調をマスコミに作られるのがオチである。

もう一つ例をあげよう。教育が停滞しているアメリカは、ITをその救世主にしたい考えだ。オバマ政権が教育xITへの投資を予算案に盛り込んだくらいである

しかし、「教育をITで変えよう」と叫んで、「iPadをたくさん導入しました。だけど、どうやってiPadを使って教えればいいのか、どの先生も分かりません」となってしまっては元も子もない。「教育の救世主分野は、ITのなかでもハードウェアなのか、それともソフトウェアなのか」といった議論が抜けていると、「やっぱりITは役に立たない」と後ろ指をさされるだけだ。

「これは本当に救世主分野なのか?」と質問し、当たり前を疑おう。

提言2. わたしと同い年か、それより若い人(26歳以下)は、複数の「言語」を喋れるようになるべき

ここでいう「言語」とは、英語などの「言語と知られている言語」と、コンピューターサイエンス語などの「言語と知られていない言語」両方である。

言語Aと言語Bを喋れるようになれば、もし片方が停滞分野になり、もう片方が救世主分野になったときに活躍できる。

大学でコンピューターサイエンスを学び、技術系の会社で新卒採用されたわたしだが、いまはシリコンバレーにある教育系のニュースメディアで働いている。同僚には元学校教師や教育ジャーナリストが多く、わたしは日々「教育語」を学んでいる。

前述したように「ITのなかでも、ソフトウェアが教育の救世主」とするのなら、救世主分野(ソフトウェア)の言葉を話し、停滞分野(教育)で働くわたしは、救世主分野(ソフトウェア)の人に向けて発信していくチャンスがある。

わたしより若い人たちも、努力をつんで複数の「言語」を操れるようになり、チャンスをつかみとってほしい。新しい「言語」は若いうちのほうが取得しやすいのだから。

提言3. わたしより年上の人(27歳以上)は、救世主分野の「言語」を喋れる若い人に気づき、抜擢してあげるべき

提言1を乗り越えて、救世主分野がハッキリしたとき、大人のやるべきことは決まっている。

「救世主分野の言葉を話し、停滞分野で働く人が、救世主分野の人に向けて発信すること」のボトルネックは「発信すること」である。発信するには何らかの地位が必要だからだ。つまり大人のやるべきことは、若者にその地位を与えてあげることだ。

もう一度「停滞分野 = 日本の将棋界」「救世主分野 = 海外のチェス界」の例を使おう。

かりに、海外のチェス界で大活躍した人・Sさんがいて、Sさんが日本の将棋界でもプレイしていたとする。Sさんは将棋も強いが、日本の将棋界に身をおいてまだ日が浅い。

そんなSさんは、海外のチェス界に向けて日本の将棋の良さを発信したいと考えている。海外のチェス界を日本の将棋界に呼ぶチャンスだ。

ここで問題だ。Sさんは将棋界のエライ人からの全面支援を受けられるだろうか。発信のために、どれくらいの予算を組んでもらえるだろうか。

支援を受けられれば、それでいい。しかし支援を受けられなければ、Sさん個人で発信しなければならない。そうなったら望みは薄い。

手遅れになる前にSさんに地位を与えてあげるのが、停滞分野で働く先輩たちの役目だ。

救世主分野がハッキリしているのなら、誰かを抜擢する際に「その救世主分野の言葉を喋れるか否か」だけを見るべきだ。停滞分野での功績には目をつぶってよい。

「Sさんは、将棋界ではまだ日が浅いから・・・」ではなく、「Sさんは、チェス界の言葉も喋れるから、将棋界で日が浅くても抜擢しよう」が正しい。

多くの場合、救世主分野の言葉を喋れるのは若手が多い。たとえばITが救世主分野になるケースでは、その言葉を喋れる「デジタルネイティブ」はみな若手である。

だが、若手を抜擢するのが日本は苦手だ。「この若造、わが停滞分野での経験は十分か?」よりも「この若造、隣の救世主分野からどれだけ人を呼べるか?」と意思決定するのが理想だが、言うは易く行うは難しである。

締めくくりに、ひとつ質問をしよう。グレアム氏の後釜でYコンビネーター代表に着任したのはサム・アルトマン氏という名の元起業家なのだが、彼は何歳だかご存知だろうか。

答えは28歳である。

おわりに

「どうすれば日本は良くなると思いますか」という質問に対し、わたしは「救世主分野の言葉を話し、停滞分野で働く人が、救世主分野の人に向けて発信すること」だと答えた。

わたし一人の意見が国レベルの答えになることはないだろう。だが少なくとも「お笑いで日本を良くしたい」「スポーツで日本を良くしたい」「地方から日本を良くしたい」よりは上流の答えであると思う。

いまの日本に必要なのは、最大公約数となりうる問題意識と解決方法を、みなが共有することだと思う。

さて。

説得力が大事だ、と言っておきながら、わたしには説得力が全くない。わたしは小学校卒業と同時に渡米して以来、日本に長期滞在したことはない。日本で仕事をしたこともない。本業はプログラマーだし、この質問についてわたしが考えだしたのは3日前である。

でも、この文章を読んでくれた方で、わたしより説得力がある人は多いはずだ。そんな人がわたしを代弁してくれれば、結果オーライかなと思っている。


追記

わたしが尊敬してやまない方にメルマガを読んで頂いたところ、以下のようなご指摘を頂きました。

「若者を抜擢することが日本は苦手」というのは結果的にそうなんですが、それは、若手を抜擢したくない訳では必ずしもなく、だれを抜擢していいか分からないのです。年寄りには、新言語をマスターしているか否かを判断できる知識があまりにない。

「隣の救世主分野からどれだけ人を呼べるか」とはいえ、人を数呼べばいいってもんじゃありませんよね。どういう人を沢山よんだら価値があるかが分からないと判断できない。

安易に「救世主分野から人を呼ぼう」とすると、やってくるのは詐欺師です。詐欺師は、救世主言語がそんなに上手じゃないのに、あたかも上手であるかのごとく、停滞言語での説明が上手なんですよね。

なので結局、「お互いがお互いの言葉を勉強しよう」という、まったく面白くない結論にたどり着くのだと思います。

まさに仰る通りだと思います。お互いがお互いの言葉を「勉強する」ことは絶対に必要です。

つまるところ、停滞分野の問題は教育の問題、とくに教育のインセンティブ設計の問題に行き着きます。

ひとつ例をあげましょう。わたしが卒業したカーネギーメロン大学のコンピューターサイエンス学部には、次のふたつの決まりがあります。

第一に、コンピューターサイエンス学部に入るには「大学入学時」に志願しなければいけないのですが、その際、コンピューターサイエンス学部に入学する生徒の3割はプログラミング未経験者になるように選ばれるのです。アメリカの大学入試は書類選考ですからね。

しかもその3割には、プログラミング未経験者だけれど、他の分野で光るものを持つ生徒が選ばれる仕組みになっています。

このインセンティブ設計により、プログラミングの素養は全く無いが、演劇が一流だったり、絵画が得意だったり、音楽がプロ並だったりする生徒がコンピューターサイエンス学部に入ってくるのです。こういう生徒でも、卒業時にはシリコンバレーでエンジニアが出来るようになるくらい、しっかり大学は教育を施します。

そうすると、コンピューターサイエンスも一流で、さらにもとから得意だった全然違う分野でも一流の生徒ができあがるのです。

第二に、コンピューターサイエンス専攻の生徒は、コンピューターサイエンス以外の副専攻か、もしくは2つ目の専攻が卒業のために必要です。コンピューターサイエンスの単位ばかり取る生徒は卒業できない仕組みになっています。わたしはデザインを2つ目の専攻にしました。

このインセンティブ設計により、コンピューターサイエンスにしか興味がない生徒でも、全然違う分野を学ぼうとするのです。わたしもデザインにさほど興味はありませんでしたが、卒業に必要なので単位を取り始めたら、一気に好きになってしまいました。

つまり、カーネギーメロン大学のコンピューターサイエンス学科では、複数の「言語」を喋れる人が育つように教育システムが設計されているのです。

日本でも、そういうインセンティブ設計がある教育システムは増えてきているのかもしれません。しかし聞いたところによると、大学受験は昔とさほど変わらず、トップ大学でも教育の質はまだまだ低いとのことです。

教育は効果が出るのに時間がかかるので、早めの改革が必要だと思っています。