上杉周作

若者に機会だけ与えてはいけない

シリコンバレーの先輩の方々のお力添えにより、お世辞にも活躍しているとは言えない自分ですが、このような機会を先日頂きました。山本一太内閣府特命担当大臣と夕食を同席させて頂いたのです。

感謝してもしきれないのですが、ひとつ思ったことは、山本一太大臣と会えたことは「機会」ではあっても「試練」では無かったのですよね。

大臣の卓越した頭脳を持ってすれば、わたしを木っ端微塵に論破することなど赤子の手をひねるようなものだと思っていたのですが、実際に起こったことはその正反対で、大臣はわたしの話を真剣に聞いて下さいました。それはそれで素晴らしいことなのですが、わたしにはこのような「機会」よりも「試練」のほうが必要だなと再認識しました。

「お前が言うな」と言われるのは承知の上で、わたしも当ブログで「若者に機会を与えるべき」と発言しているのですが、それは少しズレていることに最近気づきました。正しくは「若者に、機会につながる試練を与えよう」と言うべきなのですね。試練が伴わない機会は、あらかじめ試練を「抱き合わせ」した上でのみ、若者に与えるべきではないかと思います。

たとえばあなたが目をかけている若者がいるとして、その人を要職に就かせて嫉妬の蟻地獄に放り込むのは「機会につながる試練」ですが、当人に努力をさせずに偉い人へのパイプを提供してあげるのは「試練が伴わない機会」です。「紹介したいと思うくらいの若い人は、今に至るまでに相当な努力をしてきたのだから、年寄りの自分にできることはしてあげたい」と言い訳することもできるかもしれません。それでも、できればその「年寄りの自分にできること」に試練をプラスアルファすべきです。

こういうことを書いてしまうと、わたしを妬む方にも叩かれそうですし、今回の機会をくださった恩人の方々にも叩かれそうでまさに四面楚歌です。自分は大臣と会う機会を断ることなく、試練なき機会に甘んじてしまったのですから、説得力はゼロです。

しかしそれでも、わたしの基本的思想の片隅には「原則、人は甘やかすべきではない」というフレーズが刻み込まれていますので、「試練なき機会を与えるな」と今ここに記しておかねば後悔すると思案した次第です。

また、この記事を書いたせいで、もうこういう会に呼ばれることはないと拝察しています。けれども、以前も書いた通り、わたしはまわりの期待の賞味期限がもうすぐ切れるところなので、どちみちこのような機会は二度と来ないでしょう。なので、恩知らずと言われようが、煮て食おうと焼いて食おうとお好きなようにという心構えを保ちつつ、迫り来る平凡な毎日に臨む所存でございます。