上杉周作

随筆「五月」

71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました。閃光と炎の壁がこの街を破壊し、人類が自らを破滅に導く手段を手にしたことがはっきりと示されたのです。

バラク・オバマ

一時帰国

ことしの五月に十日間ほど、シリコンバレーから日本へ一時帰国していた。個人的な用事があって帰国したのだけれど、空いた時間に東京で意識の高いイベントに参加したり、地方を行脚したりした。

東京では、起業家の祭典・Slush Asiaでソフトバンク・孫さんの後継者と称されたニケシュ・アローラ氏を生で見たり(なんと、アローラ氏はそのひと月後に退任)、日本最大の教育×ITの展示会・EDIXに参加した(これがきっかけで新ブログ・senseicodeをはじめることに)。

地方は金沢・福岡・広島・岡山・高知・大阪・奈良・和歌山を駆け足でまわった。新幹線を一本でも逃したらアウトになるような旅程だったが、まあまあ楽しめた。

高知ではプロブロガー・イケダハヤトさんと5年ぶりに再会し、貝料理をご馳走になったあと、イケダご一家と桂浜を観光し、坂本龍馬像の前でハヤト氏とお宝ツーショットを撮った。

広島・平和記念公園

しかしなんといっても、最も印象に残ったのは生まれて初めて行った広島・平和記念公園だった。

恥を忍んで言うと、広島はいつか死ぬまでに行ければいいと思っていた。しかしオバマ氏が5月27日に、米国の現職大統領として初めて広島を訪問すると耳に挟み、「オバマに先を越されたら恥だ」と危機感を感じ、オバマより11日早い5月16日に数時間だけ立ち寄った。

雨がしとしとと降る平日夕方の平和記念公園は、警備の人も観光客もまばらだった。

原爆資料館には、日本人よりも白人系の観光客が多くいた気がした。リニューアル時に撤去されることが決まった被爆再現人形を見ながら、中学のときに完読した「はだしのゲン」のひとコマを思い出す。ちなみに分刻みのスケジュールをこなしたオバマ氏は、原爆資料館を10分で回ったらしい

殺人許可証

オバマ氏のスピーチより:

より高い信念という名の下、どれだけ安易に私たちは暴力を正当化してしまうようになるのか。

どの偉大な宗教も、愛や平和、正義への道を約束します。にもかかわらず、信仰こそ殺人許可証であると主張する信者たちから免れられないのです。

ぼくは12歳だった2000年の春、父の仕事の都合でワシントンDC郊外に引っ越した。その1年半後、「信仰こそ殺人許可証であると主張する信者たち」による同時多発テロが起きた。DC付近にあるペンタゴンにも飛行機が激突し、学校が休みになり、同級生の父親は、NYの世界貿易センターで命を落とした。

9.11から14年後、ぼくは真夏のパリでプログラミングカンファレンスに参加していた。ほかの参加者とベルサイユ宮殿を探検したり、ジャパン・エキスポという世界最大の日本文化の博覧会に参戦したり、セーヌ川のほとりで酒を飲んだりして、パリが大好きになった。

アメリカに戻り、パリへの長期滞在を本気で考えはじめた11月に、同時多発テロが起きた。100人近くが亡くなったバタクラン劇場は、ぼくが初日に夕食をとったレストランから歩いて10分足らずのところにあった。

そして迎えた2016年。この記事を公開した7月14日、フランス革命の記念日にも、フランスのニースでテロが起きた。テロの拡散は、いっこうに止まる気配がない。

アメリカ・ファースト

あの運命の日以来、私たちは自らに希望をもたらす選択をしてきました。

アメリカと日本は同盟関係だけでなく、友好関係を構築しました。それは私たち人間が戦争を通じて獲得しうるものよりも、はるかに多くのものを勝ち取ったのです。

日米同盟。片棒をかつぐ日本は先日の参院選で、九条改正を目論む安倍政権と、ほかの改憲派が3分の2の議席を獲得した。

いっぽうのアメリカは11月の大統領選挙に向けて、排外主義の煽動政治家・トランプ氏が共和党候補として指名されることになった。イスラム教徒の入国禁止を掲げるなど、「信仰こそ殺人許可証であると主張する信者たち」への恐怖を煽ることが、どうやら共和党予備選挙における勝利の方程式だったらしい。

さらに、トランプ氏は米国民の利益を最優先する「アメリカ・ファースト」を外交の基本政策にすると表明し、不公平な日米同盟を反故にするとも発言している。

アメリカ・ファーストと言えば、一時帰国する2週間前にルイジアナ州・ニューオーリンズを訪れ、アメリカでも有名な国立第二次世界大戦博物館を見学したことを思い出す。

「Road to Tokyo」という、アメリカ側から見た第二次世界大戦の展示には、英雄として祀られるアメリカ兵たち、原爆を正当化するような表現、南京大虐殺の写真、対日本プロパガンダ、そして「ジャップが降伏を受け入れた」という見出しに喜ぶ兵士の写真が飾られていた。

中学のときに社会科見学で訪れたワシントンDCのホロコースト博物館は、アウシュヴィッツの悲劇を全面に押し出し、広島のように「戦争の悲惨さ」を訴えていた。けれども、アメリカにとっての日本戦はそういう扱いにならなかったのだろう。

にもかかわらず、オバマ大統領は広島に足を運んだのだ。

ユナイテッド・キングダム

ヨーロッパ各国は、戦場を交易と民主主義の結びつきを深める場に置き換える連合を構築しました。抑圧された人々と国々は解放を勝ち取りました。

その「連合」は、オバマ氏のスピーチからひと月もしないうちに、イギリスのEU離脱によって崩壊をはじめた。なだれ込む移民によって「抑圧された人々」が、EUからの独立という「解放」を勝ち取った。

ガーディアン紙によると、イギリスでの移民に対するヘイトクライムはEU離脱の国民投票前後の時期に42%増加したらしい。アメリカでの永住を決め込んでいる「移民」のぼくは、まさしく「国へ帰れ」と言われる立場なので、イギリスで起きていることはヒトゴトではない。

そんなイギリスには17歳のころ、高校の修学旅行で訪れた。

最終日の夜、ロンドンのおしゃれなQueensway通りに男軍団で繰り出したとき、下品極まりないTシャツを見つけたので全員が購入。”F CK - all I need is U”というロゴは童貞だったぼくの心を揺さぶったけれど、残留vs離脱派の対立で揺さぶられた現代のイギリスこそ、「UK」の「U」が必要なときなのだ。

殺人マシン

科学によって、私たちは海を越えて交信したり雲の上を飛行したりできるようになり、あるいは病気を治したり宇宙を理解したりすることができるようになりました。しかし一方で、そうした発見はより効率的な殺人マシンへと変貌しうるのです。

現代の戦争が、こうした現実を教えてくれます。広島が、こうした現実を教えてくれます。

技術の進歩が、人間社会に同等の進歩をもたらさないのなら、私たち人間に破滅をもたらすこともあります。原子の分裂へとつながった科学的な変革には、道徳的な変革も求められます。

71年前から、世界の「殺人マシン」として君臨し続けてきたのは核弾頭だった。しかしこれからは、人工知能(AI)がその座を奪うかもしれないと危惧されている。AIが指揮を執る国家同士の戦争や、人間対AIの戦争が起こる可能性はもはや否定できない。

ただ幸いなことに、「道徳的な変革」はすでに始まっている。

昨年12月。テスラCEOのイーロン・マスク氏と、シリコンバレーの著名投資家のサム・アルトマン氏(Y Combinator代表)が、AIの研究開発を行う非営利企業・OpenAIを設立した。OpenAIでは、世界中の研究者が協力し、AIの研究開発を特定の目的にとらわれることなく行い、研究結果を公開していく。そうすれば、AIの進化を安全な方向に導くことができるという。

どうして研究結果をオープンにすれば、AIによる破滅から人類を救えるのか。手短に説明しよう。

かりに、邪悪な人間が10人集まり、OpenAIの研究結果を利用して凶暴なAI「バイキンマン」を作ったとする。しかし世界には、その邪悪な10人と同じくらい腕がたつ、善良なAI開発者が1000人はいるだろう。その1000人が協力し、OpenAIの研究結果を利用して正義の味方AI「アンパンマン」を作れば、かならず「バイバイキーン」できるはずだ。

以上が、OpenAI創設者・アルトマン氏のざっくりとした主張である。「最新の技術・研究へのアクセスが誰にでも可能な状態であれば、悪人も善人も同じ力を持つ」「悪人も善人も同じ力を持った場合、悪人が圧倒的少数派であるなら、善人が勝つ」というわけだ。

余談だが、イケダハヤトさんを訪問すべく、岡山から瀬戸内海を渡って高知に移動した際、ぼくはアンパンマン列車なるものに乗った。アンパンマン作者のやなせたかしさんが高知出身だかららしい。車内はガラガラだったため、車体に描かれたキャラクターたちが口をそろえて、「まだ満員電車で消耗してるの?」と語りかけているような気がした。

技術は人間社会に幸せをもたらすか?

技術の暴走を防ぐことは大事だが、いま求められている「技術の道徳的な変革」はそればかりではない。オバマ氏のこの言葉にふたたび注目してみる。

技術の進歩が、人間社会に同等の進歩をもたらさないのなら、私たち人間に破滅をもたらすこともあります。

技術の進歩は、人間社会に同等の進歩をもたらしたのだろうか?

かりに進歩を「豊かさ」と解釈し、「技術は人間社会に『豊かさ』をもたらしたか?」と問うのなら、答えはYESだろう。

ぎゃくに進歩を「幸せ」と解釈し、「技術は人間社会に『幸せ』をもたらしたか?」と問うなら、答えは人によるだろう。

かりに、タイムマシンに乗って20年前の世界に旅行したとする。当時の人たちに「2016年は96年より豊かな世界だよ」と説明するには、四次元ポケットが無くとも、ジーンズのポケットからスマホを取り出して見せればよい。

しかし、同じスマホを見せるだけでは、「2016年は96年より幸せな世界だよ」と説明するのは難しい。

96年に暮らす遠距離恋愛中のカップルにスマホを見せて、「2016年ならスマホで好きなときに恋人とLINEできるよ」と言っても、「スマホがあれば、会えない辛さがなくなるの?」と聞き返されたら、ぼくなら返答につまってしまう。

テクノロジー教

「技術は人間社会に幸せをもたらすか?」という問いは、21世紀の踏み絵だ。

レッテルを貼るようだが、「テクノロジーは人を幸せにする」「テクノロジーの力で人を幸せにしたい」と考える「テクノロジー教」信者は、ここ十数年で増えた気がする。「テクノロジー『だけ』で人を幸せにできる」と考える「過激派」はレアかもしれないが。

テクノロジー教信者が増えた理由は、やはりここ十数年のシリコンバレーの台頭があるだろう。イギリスやアメリカのように国の半分が内向き・排他的になり、社会のモラルが後退すればするほど、いかなる時も前進し続けるテクノロジーを、進歩主義者のインテリたちは心の拠り所にするからかもしれない。

そして向こう側をみれば、テクノロジー教に入信したくない人たちも同じく増えていると思う。

テクノロジー教の非信者は、技術が仕事の自動化につながり、それによって職を失う人たちだ。かろうじて残った仕事は、イギリスのEU離脱派が主張していたように、低賃金で働く移民に奪われる。ただ皮肉なことに、テクノロジー教の非信者であっても、鬱憤はスマホからFacebookに投稿したりして晴らしているようだ。

テクノロジー教信者は、「技術がさらに発展して、ベーシックインカムが導入されれば、ほとんどの人は働かなくても暮らせるようになる」「働かなきゃダメという価値観を改めるべき」と主張する。

NHK・Eテレ「ニッポンのジレンマ 2016年元日SP」に出演したときより。

しかし、OpenAI創業者・Y Combinator代表のアルトマン氏は次のように発言している(意訳)。

技術の発展の結果、世の中が「超少数の大金を稼ぐ生産者」と「大多数のベーシックインカムで生きる非生産者」にわかれたとして、「大多数の非生産者」は不公平だと感じないのか?

(中略)今より大幅に技術が発展した社会において、「大多数の非生産者」はスキルが足りないため、働きたくても働けないが、それでも不満は生まれないのか?

働かなくても暮らせる社会は自由かもしれないけれど、それは同時に、働きたくても働けない不自由な社会かもしれない。

「表現の自由」があり、ありあまる時間を「表現すること」に使える自由がありながら、「表現すること」以外にすることがない不自由な社会かもしれない。

ほとんどの人が「社会人」にならず、学生のノリのままで生きる社会は、はたして幸せな社会なのだろうか?

なぜ、ここに来たのか

ところでぼく自身は、「技術は人間社会に幸せをもたらす」とは思っていないし、「テクノロジーの力で人を幸せにしたい」ともあまり思っていない。

テクノロジーに関わってこられたおかげでぼくの人生は豊かになったけれど、幸せだとはまったく感じない。

テクノロジーの強みは、インターネットを通じて多くの人に何かを届けられることだけど、そもそも多くの人を幸せをすることにまったく興味がない。

未来のことを考えるのは大好きだけど、未来がぼくを幸せにしてくれるとは思えない。

つまり、ぼくはテクノロジー教の信者ではない。

71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました。閃光と炎の壁がこの街を破壊し、人類が自らを破滅に導く手段を手にしたことがはっきりと示されたのです。

なぜ私たちはここ、広島に来たのでしょうか?

それなのに、なぜぼくはここ、シリコンバレーに来て、ITに関わるベンチャーで働いているのだろうか?

頭がよくなるから

教育熱心なママさんの言葉っぽいけど、ぼくがシリコンバレーのITベンチャーで働いている理由は「頭がよくなるから」だ。付け加えるなら、「他の分野・他の場所で働くよりも、シリコンバレーのITベンチャーで働くほうが、問題解決能力がつく気がする」とも言える。

それはなぜか。いちばんの理由は、問題解決が大好きな人たちに囲まれながら、問題解決ができるからだ。

問題解決が大好きな人たちに囲まれながら、問題解決ができる

ぼくは他の分野・他の場所で働いたことがないので、説得力が皆無なのは承知している。しかしぼくが見る限り、「問題解決が三度の飯より好きな人たち」は、もともといろんな分野、いろんな場所に散らばっていたが、ここ数年間はシリコンバレーに結集してきている気がする。

そして「問題解決人口大移動」が起きている理由は、テクノロジー分野や、シリコンバレーが金銭的に成功しているからだけではない。

世界中で飛ぶ鳥を落とす勢いのタクシー配車サービス、UberのCEO・トラビス・カラニック氏の例をあげよう。Uberが不祥事で炎上した際、社員がカラニック氏に「こういうトラブルが起きたりするとウンザリしないのですか?」と尋ねたらしい。

そのとき彼はこう答えたという。

そんなことないよ。数学の教授は、問題を全て解いてしまったら「もう終わりか。つまらん。次にやる問題がほしい」と思うだろう?ぼくはそういう人なんだ。

次にやる問題がほしい。テクノロジーの世界はそんな欲求を満たしてくれる。すごいスピードで進んでいく技術は、人類がこれまでに見たこともないような問題を大量生産する装置なのだ。

そんな装置に引き寄せられた「問題解決マニア」たちに囲まれて暮らせば、頭が良くなる気がしないでもない。

ものごとを違った視点でみれること

この文章からも察しがつくかもしれないが、ぼくはあまり頭がよくない。でも、頭がよくなりたいとは思う。テクノロジー教信者でないぼくが、シリコンバレーで働いている理由の大部分はそれだ。

頭がよくなりたいのは、単に知的になりたいからでも、競争に勝ちたいからでもない。

頭のよさとはすなわち、ものごとを違った視点でみれることだ。そしてぼくは、ものごとを違った視点でみることによって、自分にとって大切な誰かの助けになりたい。

ものごとを違った視点でみることによって、自分にとって大切な誰かの助けになりたい

アーティストの椎名林檎さんが、こんな言葉を残している

女性はやっぱり、おいしそうなものにクンクンって吸い寄せられて、それで満腹になったら飽きて、別の方に行って。そういう風に生きていくものだと思うんです。

(中略)だけどある時、全部それを奪われちゃうような瞬間が来るんですよね。気分に従っているだけで良かったのが、まったくうまくいかなくなる。

たとえば、大人になって大好きな人ができて、今まで男の子とチョメチョメしてきたのがリハーサルだったのかと思うぐらい、「私はこの人のために、経験や知識やこれから学ぶこと全部を捧げなければいけない。捧げるべきなんだ」って心に決める。すごく本能的に感じるんですよね。

ぼくは男性なので、椎名さんの言葉をまるごと理解することはできない。

それでも、「私はこの人のために、経験や知識やこれから学ぶこと全部を捧げなければいけない。捧げるべきなんだ」と思うときはある。たとえ特別な人がいないときでも、身近にいる大切な人すべてに「経験や知識」を捧げたい。

その「経験や知識」が、ぼくにとっては「ものごとを違った視点でみれること」なのだ。

この秘密をあなたに知られたら

今回の一時帰国で参加したSlush Asiaでは、お笑い芸人でIT企業役員でもある厚切りジェイソン氏の話も聞いた。

「一度きりの人生、大事にしろよ」と題された講演のなかで、彼はこう言った。

ツイッターで人生相談をはじめたら、こんな便りが来たんです。「厚切りジェイソン、死にたいと思ってるんだけどどうすればいい?」って。

そのとき、「なぜよりによって、厚切りジェイソンにそんな相談をしようと思ったんだ?」って思いました。

どんなに親しい人にでも言えない悩みなんて誰にでもある。

「この秘密をあなたに知られたら、嫌われはしなくとも、あなたに愛されることはもうないだろう。」

そんな悩みは誰だって抱えているものだし、もしも特別な人がそんな悩みを抱えていたら、なんとかしてあげたいと思うのは当然だ。

けれども、特別な人の難しい部分、そのありのままを全て受けとめれば、一件落着するとは限らない。がまんの末に、片方が耐えきれなくなってしまうのはよくある話だ。

だからこそ。

「そういうふうに悩まなくていいと思う。むしろ、こう考えてみたらいいんじゃないかな?」と、まったく違った方角から、その人もぼくもハッとさせるような言葉を投げかけられる人でありたい。

特別な人が迷い込んだ行き止まりを、まったくちがう地図に照らし合わせながら、「そこには、道があると思うよ」と言える人でありたい。

「ぼくが、それでもあなたを愛せるのは…」のあとに、うわべだけじゃない言葉を続けられる人でありたい。

そんなふうに、ぼくらの器量が問われる試練は人生で何度もない。でもそれは、人生をかけて備える価値がある瞬間だと思う。

その数秒間、数分間の刹那に、ぼくらの目がそれまでに培ってきたもの、そして人間としての厚みが表れるのだと思う。

(技術の)世界の中心で、愛をさけぶ

すべての人命は、かけがえのないものです。私たちは「一つの家族の一部である」という考え方です。これこそが、私たちが伝えていかなくてはならない物語です。

だからこそ私たちは、広島に来たのです。そして、私たちが愛している人たちのことを考えます。たとえば、朝起きてすぐの子供達の笑顔、愛する人とのキッチンテーブルを挟んだ優しい触れ合い、両親からの優しい抱擁、そういった素晴らしい瞬間が71年前のこの場所にもあったのだということを考えることができます。

ものごとを違った視点でみれる目がほしい。

だからこそぼくは、シリコンバレーに来たのだ。そして、ぼくが愛している人たちのことを考える。ぼくの目で、その人たちを襲う悪夢を退治して、一緒に素晴らしい朝を迎えられるように。

技術は、人の仕事を奪ってゆく。技術は、人を幸せにできないかもしれない。

けれども技術を学んで身についた「ものの見方」で、大切な人を守ることは誰にだってできるはずだ。

平和公園の慰霊碑には、「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と書かれている。

この「過ち」は誰が犯したものであるかについては議論があったようだ。「アメリカの過ち」と言った人もいたが、最終的には「広く人類全体の誓い」に落ち着いたらしい。

けれども、広く人類全体で誓えることは、原爆が落ちて71年たってもそれほどない。

オバマ氏は、「私が生きている間に(核廃絶)は達成できないかもしれません」と発言した。戦争にたいする意見、技術にたいする意見が、いつか人類全体で合意にいたる可能性はゼロに近いだろう。

ならば、どうするのか。オバマ氏は「(核廃絶の)可能性を追い求めていきたい」と言う。世界には、戦争を無くすことを追い求めたり、技術で人々を幸せにすることを追い求める人もたくさんいる。

ぼくは、どちらも追い求めない。

けれども、追い求めている人たちに負けないくらい、ぼくは技術の世界で頑張りたいと思っている。そして頑張りたいと思う理由も、さきに話したとおり、ぼくなりにあるのだ。

五月

やけに行間が広いアメブロの記事にあるような「決意表明(笑)」を書いてしまったが、そのお口直しに、ぼくが好きな文章を添えておく。

オカンが死んだ年の五月にある人は言った。

「東京タワーの上から東京を眺めるとね、気が付くことがあるのよ。地上にいる時にはあまり気が付かないことなんだけれど、東京にはお墓がいっぱいあるんだなぁって」

確かに、そのとおりだった。緑地の中に、ビルの谷間に、墓地は点在していた。地上に暮らす者が気付かず見落とし、忘れていても、実際には近代的なビルの間にも、屍が眠っている。

そして、ボクにはこの街全体、この東京の風景すべて巨大な霊園に見えた。

ひしめき合って立ち並ぶ長方形のビル群はひとつひとつが小さな墓石に見える。その大小があっても、ここからはたいした区別がない。

遥か地平線の向こうまで広大に広がる巨大な霊園。この街に憧れ、それぞれの故郷から胸をときめかせてやってきた人々。

この街は、そんな人々の夢、希望、悔しさ、悲しみを眠らせる、大きな墓場なのかもしれない。

リリー・フランキー・「東京タワー」

広島を後にし、アメリカに戻る数日前のこと。

とある友人と夜の六本木にて、東京タワーが綺麗に見える外苑東通りを歩いていた。ぼくの母は今年の1月に亡くなったので、そのときはちょうど「オカンが死んだ年の五月」だった。

ぼくの母が死んだ年の五月。その友人は、ぼくにこう言った。

「東京には、この街に憧れ、それぞれの故郷から胸をときめかせてやってきた人々がたくさんいる。でも反対に、東京で生まれ育ったせいで、そういう人たちが羨ましく思える、自分みたいな人もたくさんいるんだよね。」

いつか死ぬ

リリー・フランキー氏の「東京タワー」は、フランキー氏の「オカン」が癌を患って亡くなってしまうストーリーだ。ぼくがこの本を読んだのは、母の末期癌が見つかった半年後だった。

ぼくの大切な友だちが癌で亡くなったのも、去年の五月だった

当たり前だけれど、人は死ぬ。戦争やテロがあれば人は死ぬし、何もなくてもいずれ人は死ぬ。

けれども、技術は死なない。ロボットや人工知能は戦争があっても死なないし、壊れても複製されて生き返る。いずれ技術は時代遅れになって「死ぬ」けれど、それは人間の死とは意味が違う。

たまに、人と技術の折り合いがつかなくなる理由は、人は死ぬけど技術は死なないからだと思うことがある。

技術に対して「ありがとう」と素直に思えないのは、人は心の奥底で無意識のうちに、「わたしはいつか死ぬけれど、お前は死なないくせに」と思っているからかもしれない。

死はたぶん、生命の最高の発明です。

スティーブ・ジョブズ

わたしはいつか死ぬし、あなたもいつか死ぬ。大切な人を想うときに、無意識のうちに思うこと。

そう思うからこそ、「ありがとう」と思えるし、「助けたい」と思えるし、「愛おしい」と思えるのだ。そしてそれこそが、人間と技術のいちばん大きな違いなのかな、と思う。