上杉周作

「新しい教育」の話をしよう

シリコンバレーの教育ベンチャー・EdSurge社に技術者として入社してから3年が経ちました。よい区切りなので、ぼくは教育の専門家ではありませんが、教育について考えたことを書き連ねてみました。

シリコンバレーの教育ベンチャー・EdSurge社の集合写真。ぼくは写真右下。

目次

「新しい教育」の歴史編

1 / 厚切り教育論と、アメリカ今昔物語
2 / アメリカの教育が、「進歩主義時代」の波に乗った
3 / 「学校は社会の鏡なのか?」が問われた
4 / エセ科学の教育論が登場した
5 / 教育学部の専門家が、「新しい教育」をアメリカ中に広めた
6 / 「新しい教育」が暴走した
7 / 「新しい教育」論戦が繰り広げられた
8 / 「学校は社会の鏡なのか?」が再度、問われた
9 / 「新しい教育」が終わった

「新しい教育」の考察編

10 / 「新しい教育」の日米比較 — 職業教育について
11 / ゆとり世代の物語
12 / 「新しい教育」は、アメリカ版「ゆとり教育」だったのか?
13 / 「新しい教育」と「人生を変える教育」(前置き)
14 / 21世紀の「新しい教育」 = エドテック
15 / 「人生を変える教育」に、ITは必要か?
16 / 「人生を変える教育」に、ITは必要か? パート2
17 / 「新しい教育」と「人生を変える教育」(覚えておきたいこと)
18 / おわりに

注意: 引用元について

この記事では引用が多くなってしまったので、文中にある「1 」の記号をクリックすると引用元が表示される仕組みを作りました。(「あとで読む」アプリでは表示されないかもしれません)



1 / 厚切り教育論と、アメリカ今昔物語

アメリカ出身で日本在住のお笑い芸人・厚切りジェイソン氏のこんな発言がバズっていた。執筆時点で、彼のツイートの中では最もリツイート数が多かったようだ。

厚切りジェイソン氏のことはよく知らない。だが、彼のLinkedInによると、彼とぼくは同じ年(2010年)に、アメリカ中西部の大学でコンピューターサイエンスの大学院を修了したということで、ぼくは勝手に親近感を持っている。 2

幼稚園と小学校を日本、その後の教育をアメリカで受けたぼくは、厚切りジェイソン氏の言い分もわかる。たしかに平均を見れば、現在のアメリカの学校における同調圧力は日本より弱いだろう。

ただ、はじめからそうだったわけではない。むしろ、いまから150年前のアメリカでは、「周りと合わせろ」と子供に教えるのが当たり前だった。

アメリカの公教育は19世紀中盤に始まったのだが、当初の学校の目的は「型にはまった、従順な」人を育てることで、「型にはまらず、ものごとを批判的に見れる」人を育てることではなかった (参考)。産業革命の真っ只中にいた当時のアメリカでは、均一で良質な工場労働者を多く供給できるように、教育システムが最適化されていたのである。

もう少し詳しく説明すると、19世紀の序盤まで、アメリカの多くの学校ではひとつの教室にバラバラの年齢の子がいて、年長者が年少者を教えたりしていた。教員もいたが、特別な訓練を受けた人たちではなく、ボランティア的な存在だった

しかし、1848年に教育改革者のMann氏が「年齢別の学年」という概念を導入。教員にも指導訓練を施し、生徒が互いに教え合うのではなく、教壇に立った先生が一方通行で生徒に講義をするスタイルを確立させた。「詰め込み型」で、「周りと合わせろ」的な教育が、アメリカ中で一般的になったのだ。

だが、20世紀を迎えたころ、このような「詰め込み型」の教育の是非が問われだした。

その全容は以前もこのブログで取り上げた、アメリカを代表する教育史学者、ダイアン・ラヴィッチ著「教育による社会的正義の実現」の第二章に詳しく載っているので、ぼくなりに要約しながら紹介する。ちなみに、ぼくは原文の「The Troubled Crusade」を読んだので、引用部分はすべて拙訳である。

2 / アメリカの教育が、「進歩主義時代」の波に乗った

日本が明治時代の後半を迎えた1890年代から1910年代のころ、アメリカは進歩主義時代に突入していた。当時の命題は二つあった。

  1. 利権団体の手によって腐敗しきっていた政治を立て直し、本来の民主主義を取り戻す
  2. 経済・政府・工業・財務・医療などの分野を科学的手法を用いて効率化する

教育も、同じく「民主主義」と「効率化」の流れを汲んで、変革者たちの標的となった。3

教育と民主主義: 第一に、当時のアメリカでは一般的だった、「教壇に立つ先生の話を、一方通行で生徒が聞く」スタイルの授業が批判された。厚切りジェイソン氏が言う、「周りと合わせろ」の教え方である。改革派は「先生中心の学習は権威主義の象徴だ」「生徒中心の学習こそ、民主主義のあるべき姿だ」と主張。教育の理念と、政治の理念がごちゃまぜになっていた。

教育と効率化: 第二に、当時の学校は「実社会で必要なスキルを教えていないから、非効率である」という批判があった。対案はもちろん、「社会で役に立つことを教えろ」だった。

  • 暗記中心の学習は実社会で何の役に立つのか。プロジェクトを通じて学ばせるほうが効率的だ。
  • 個人の成績を競わせるのは実社会で何の役に立つのか。社会に出たら一人の力だけでやることは少ない。それよりも、他人と協力するスキルが大事になる。だから、グループワークを通じて学ばせるほうが効率的だ。
  • 「国語・数学・理科・社会」も中学レベルで十分。高校からは実際に社会で役に立つことを教えるほうが効率的だ。

アメリカの教育も、進歩主義時代の空気を読んで、変わろうとしていたのだ。

3 / 「学校は社会の鏡なのか?」が問われた

アメリカの進歩主義運動の勢いは第一次世界大戦中(1914-1918)に衰え、求心力を失った。しかし、教育業界では進歩主義の影響は残り、1920年を過ぎても改革への勢いは衰えなかった。

進歩主義の思想を受け継いだ教育論は「Progressive Education」と呼ばれ、次第に支持者も増えていった。Progressive Educationは、直訳すると「進歩主義教育」だが、後述する話に繋げやすくするため、この記事では「新しい教育」と呼ぶことにする。

さて、「新しい教育」でとくに重要視されたのは、さきほど述べた「高校からは実際に社会で役に立つことを教える」ことだった。従来のアカデミックな高校のカリキュラムが槍玉に挙げられたのだ。

理由の一つとして、1900年から1950年にかけて、アメリカの高校進学率が10%から65%まで伸びたことがある (ちなみに日本で同じことが起きたのは、大戦後の1945年から1960年の間)。

19世紀のアメリカでは「高校=エリートだけが行く大学予備校」だったので、知識偏重のカリキュラムでも構わなかった。しかし、20世紀前半に「高校=みんなが行くもの」に変化すると、そのままのカリキュラムでは落ちこぼれが続出してしまう。

だから、「大多数の高校のカリキュラムはアカデミックなものではなく、社会で役に立つ内容にしよう」という動きが起きた。1918年には、「中等教育の基本原理 (The Cardinal Principles of Secondary Education)」という文書が専門家の手でまとめられ、国の教育局が刊行して有名になった。この文書によると、「これからのアメリカの高校で教えるべき7つのこと」は以下の通りだという。 4

  1. 生徒の心とからだの健康
  2. 基礎的な学力
  3. 家庭での正しい振る舞い方
  4. 職業教育
  5. 公民教育
  6. 余暇の正しい過ごし方
  7. 人格の形成

驚くべきことに、2の「基礎的な学力」は草稿の段階では文書に含まれておらず、後から付け足されたらしい。「ほとんどの高校生に、中学レベル以上の学力など必要ない」と言わんばかりだった。

さらに結論として、「学校で教えるのは、主に大人の社会で必要なことであるべきだ」と文書は強調している。この「学校=社会の鏡」論は、理想論としての聞こえはいいのだが、矛盾も含まれていた。

例をあげよう。アメリカでは、進歩主義時代に女性の参政権が認められた(1920年)。女性は利権団体に取り込まれていないので、女性票が既得権益を打破すると考えられたのだ。

このように女性の社会進出が進みつつある一方で、多くの女性はいまだに専業主婦だった。よって、さきほどの文書には、「いまだに多くの女性は家庭に入るのだから、高校では女性に家事を教えるべきだ」と記されていた。そしてこれは「時代の流れに逆らっている」と、一部の人々に批判された。

両者の差は、「学校=『現在の』社会の鏡」であるべきか、それとも「学校=『理想の未来の』社会の鏡」であるべきかの違いだ。この対立は、時を追うごとにヒートアップしていった。次の章で詳しく見ていこう。

4 / エセ科学の教育論が登場した

さきほど軽く触れたように、進歩主義時代のテーマのひとつは、科学的手法を用いてさまざまな分野を効率化することだった。たとえば、フレデリック・テイラーは経営学に科学的手法を導入し、「ノルマ」や「作業のマニュアル化」などの概念を確立させ、生産性が向上した。

教育でも同じく科学的手法が導入されたのだが、それはお粗末なものだった。

なにしろ、理論を確立させるには実験が必要だが、教育で実験を行うのは難しい。教育での一般的な実験方法は、似たような学力で、似たような境遇にいる子供達を集めて二つのグループに分け、それぞれに違う教育を施し、半年から数年後にテストをして学力の差を測るというものだ。だが、子供の学力は学校だけでなく家庭環境にも左右されるし、測りたい学力をきちんと測るテストを作るのも大変だし、そもそも子供を実験対象にする許可を親から得るのが難しい。

そんな難しさもあって、100年前のアメリカ教育業界では、いい加減な教育の実験がまかり通っていた。その結果、「子供の知能発達の否定論」が浮上した。内容は以下のようなトンデモ論である。5

子供の知能の発達という概念は間違っている。

たとえば、子供に算数を教えると、判断力や集中力、手順を的確に遂行する力がつくというが、実験でそれは証明できなかった。唯一証明できたのは、算数を教えると、算数のテストの点数が上がるということだけだ。

よって、子供に算数を教えると、算数の能力は発達するが、それ以外の知能は一切発達しない。他の科目でも一緒で、国語を教えれば国語の能力だけが、体育を教えれば体育の能力だけがつく。

常識的に考えてあり得ない理論である。もちろんながら、まともな科学者は「そもそも知能の発達は複雑なプロセスだから、実験では測れない」「こんなのはエセ科学だ」と批判した。

しかし、科学的手法を万能と思い込み、それに酔いしれた当時の進歩主義者は耳を貸さなかった。かれらは、「国語・算数・理科・社会を教えても、国語・算数・理科・社会の能力がつくだけで、人生で必要な能力はいっさい身につかないから、無駄である」と主張したのだ。

何人かの著名な教育学者も同調した。超名門・コロンビア大学教育学部の人気教授・Kilpatrick氏のクラスでは、ギリシャ語・ラテン語・数学は子供の成長の役に立たず、逆に効果的なのはダンス・演劇・人形遊びだとされた。 6

進歩主義に染められた「新しい教育」は、少しずつおかしな方向に向かっていった。

5 / 教育学部の専門家が、「新しい教育」をアメリカ中に広めた

とはいえ、アメリカは教育の地方分権化が進んでいる国だ (参考)。日本の文科省とは違い、当時のアメリカの教育局の影響力は限定的で、「教育のことは、それぞれの州や自治体に任せる」とされていた。学習指導要領なども、州や自治体が勝手に決めてよい。

ということは、進歩主義的な教育思想がアメリカの片隅で生まれても、それが連邦政府によって、アメリカ全土にトップダウン形式で広まることはあり得ないはずだった。かりに広まったとしても、進歩主義者が多い州や自治体では「新しい教育」派、それ以外の州では「古い教育」派と、二極化が進むはずだった。

しかし、「新しい教育」は、まったく別なルートでアメリカの殆どの学校に行き届いてしまった。7

20世紀初頭のころ、多くのアメリカの公立校は財政難に苦しんでいた。「役所からもっと助成金が欲しい」と考えた学校は、著名大学の教育学部から教育学者を呼び、疲弊している現場の実態を調べさせた。「ほら、教育学者たちも現場の状況はひどいと言っている。同情するなら金をくれ!」と、役所をゆするのが狙いだった。

そのとき調査に来た教育学者は学校側に、「あなた達が教えてることは時代遅れです」と、「新しい教育」のノウハウを入れ知恵していたという。著名大学の教育学部では進歩主義が流行っており、学校に派遣された教育学者の多くはその思想に取り憑かれていたのだ。

さらにこの時期には、多くの学校の教員が休職して教育学部の大学院に通い、最新の教育学を学ぶようになった。そこで教員たちは進歩主義のカルチャーショックを受け、学校に復帰したのち「わが校の教え方は古い。新しいカリキュラムが必要だ」と、他の教員を巻き込んで改革を始めていく。

その結果、1930年代半ばまでに、人口2万5千人以上の都市の7割で、市の教育機関に「カリキュラム改革部署」が作られた。「新しい教育」を実践するためのカリキュラム改革は、当時の教育学の文献でも最も話題になるなど、一世を風靡した。8

6 / 「新しい教育」が暴走した

全米中の教育に入り込んだ「新しい教育」ブームは、各地で暴走を始めた。9

ミシガン州のBattle Creek地区にある高校: 大学進学用の特進コースの定員を半減し、ふるい落とされた残念な生徒のために「生き方の基本 (Basic Living)」という授業を設置。

シリコンバレー近郊のAlameda County地区にある高校: 世界史などの授業時間を短縮し、代わりに運転免許の講習を授業として設置。

とある南部の田舎の高校: 国・算・理・社など基礎科目の授業時間を短縮し、代わりに男子向けには農業・電工技能・大工技能、女子向けには簿記・美容・家政学の授業を設置。

別の南部の田舎の高校: 数学と理科を必須科目から外す。校長は「我が校の卒業生がマスターしているべきことは、男子なら車の修理や家のペンキ塗り、女子なら料理、タイピングなどです」と発言。

シリコンバレー近郊のOakland市にある高校: 「遊びの時間」という授業が出現。卒業所要単位に使えるように。

カンザス州のHolton市にある高校: 国語の授業を大幅に短縮し、代わりに「家の建て方」という授業を設置。

ノースカロライナ州のGoldsboro市にある高校: 女子トイレの飾り付けをするだけで卒業に必要な単位が貰えるように。

オクラホマ州のTulsa市にある中学: 「ネイルの塗り方」が女子の必須授業に。

コロラド州のDenver市にある高校: 男子向けに「デートの作法」という授業が出現、取り上げられたテーマは「デートの後、女子を部屋に誘うべきか?」など。

メリーランド州のGarrett County地区にある学校: 中学と高校では基礎科目を廃止、なんと全ての授業が「生活」の授業になる。

ミシガン州のAnn Arbor市にある学校: 学校で教科書の利用が一切禁止に。新しい英単語を教えるときも、教科書を使わずに、ゲームで教えないといけないことに。(さすがに無理があり、しばらくして教科書禁止令は解かれた。)

名門・Purdue大学の教育学部教授・Dodds氏: 「古典、作文術、世界史などは、多くの社会人にとって必要ないスキルだから、高校ではべつに教えなくてよい。それよりも、服の着こなし方・異性との付き合い方・仕事の見つけ方を教えるほうが大事である」と発言。

とある教育者: 「高校は高校生のニーズに答えなければ」と2069人の高校生にアンケートを取る。結果、多くの生徒は、仕事の見つけ方、友だちの作り方、デートでの振る舞い方を知りたいと思っていた。一方、ヨーロッパがアメリカに与えた影響を知りたいと思っている生徒は1割にも満たなかった。「だから、カリキュラムもこの通りに変えるべきだ」と発言。また、科学を学びたいという男子は多かったが、女子は少なかったので、「科学は男子のみに教えるべきだ」と発言。

…まさに、自由の国アメリカらしい壊れっぷりである。

統計的に見ると、「古いカリキュラム」のなかで最も打撃を受けたのは、スペインやフランス語など外国語の授業だった。1910年には、アメリカの8割の高校生が授業で外国語を学んでいたが、1955年にはその比率が逆転。授業で外国語を学ぶ高校生は2割のみとなった。10

また、大学入試も変わってしまった。アメリカでは以前、日本のセンター試験のように、高校の基礎科目の習熟度が問われる大学入試があった。しかし、1947年以降はそれが廃止され、高1レベルの数学と読解力だけが問われるテスト(SAT)に変更された。11

高1数学と読解だけが問われるSATは、「金持ち御用達の進学校に通わなくても高得点を取れる。これで格差が解消される」と称賛された。だが同時に高校側にとって、基礎科目を教えるインセンティブも失われてしまった。

知ったかぶりの日本人はよく「アメリカの大学は入るのは簡単だが、卒業するのが難しい」と言う。「入るのは簡単」と言われる主な理由は、SATが日本の入試に比べてザルだからである。だが、そんなザル入試が生まれた背景に「新しい教育」の影響があったことは、日本ではあまり知られていない。

ちなみに、アメリカの公立高校→アメリカのトップ大学(カーネギーメロン大学、コンピューターサイエンス学科)に進学したぼくや、似たような道を辿った日本人の友人たちに言わせれば、アメリカで育った子どもでも、アメリカの名門大学に入るのは非常に難しい。試験自体は簡単だが、合否は高校の成績順位や課外活動を加味した厳しい書類審査で決まるからだ。(このことには、ぼくの以前の講演でも少し触れている。)

7 / 「新しい教育」論戦が繰り広げられた

アメリカ中の学校に侵食した「新しい教育」は、学力低下を憂いた親と先生から猛反対にあった。親たちは「高校がこんなに低レベルでは、我が子が大学に行けなくなる」と批判し、先生たちは「われわれの同意なしに、馬鹿げたカリキュラムを押し付けるな」と批判した。

先に述べたように、「新しい教育」のルーツは、進歩主義時代の「先生(権威)中心から生徒(民主)中心の教育へ」という考え方にある。だが皮肉なことに、学校運営側が先生側に、まったく新しいカリキュラムを押し付けるさまは、あたかも権威主義のようだった。そして新しいカリキュラムを拒否した先生たちは、容赦なくクビにされた。12

力でもって欺瞞民主主義を押し付ける光景は、どこかの大国のイデオロギーを見ているかのようである。

親と先生以外に、有識者も非難の声をあげた。コロンビア大学教育学部のなかでも進歩主義に懐疑的だったBagley教授は、「民主主義社会における教育の役割とは、市民の知的水準と文化水準を最大化することである。いま起きている変化はそれに逆行している」と発言した。13

大御所もしびれを切らした。教育の進歩主義化を最初に唱えたとされ、プラグマティズム(Wikipedia)を代表する思想家のジョン・デューイ教授も、当時の現状を「行き過ぎだ」と指摘。「いまの学校は『子供の自由が大事』と言いながら、行き当たりばったりのカリキュラムで子供を怠けさせている」「この世で最も大事な自由とは『知の自由』であり、それは知的な活動でしか得られない」と、手厳しい批判を加えた。

だが、「新しい教育」擁護派も負けていない。コロンビア大学のMort教授は、「アメリカでは、新しい教育が人々に受け入れられるのに50年から100年はかかる」と発言。批判者たちはいわゆる「老害」であり、批判の声が止むのも時間の問題だと主張した。14

同じく「新しい教育」派であるミネソタ大学のDouglass教授も舌戦を繰り広げる。「1890年から、高校入学者数は10年ごとに倍増していて、頭が悪い高校生も増えた。これからの高校は、勉強に興味がない、知能の低い子たちのニーズに応えていかなければいけない」「国・数・理・社などの基礎科目を、人類の発展に貢献してきたからという理由だけで、学生に教えるべきだというのは間違っている」「多様化する高校のニーズに対応するには、自然・スポーツ・ゲームなど、知能でなく本能に訴えるものを教えるべきだ」と発言した。15

この議論は、両サイドとも譲らないまま、第二次世界大戦後までもつれこんでいった。

8 / 「学校は社会の鏡なのか?」が再度、問われた

第二次世界大戦を終え、ベービーブームを迎えたアメリカでは、「新しい教育」の影響力がさらに増していた。

「新しい教育」が無視できないものになると、その批判者も戦前より増えた。ソ連との冷戦に突入し、反・共産主義の声が高まるにつれ、「『新しい教育』は、共産主義者たちが、アメリカの国力弱体化のために広めたのだ」といった陰謀論が各地で話題になった。16

1949年になると、「新しい教育」バッシングが一層激しくなった。口火を切ったのは元コネチカット州の教育委員・Smith氏。彼は著書「And Madly Teach」で、「今の学校はひどい。授業で『雨宿りの方法』が教えられる日も近いだろう」と指摘。さらに、「社会で必要なことだけを教え、社会に適合させようとするのは、子供の自由を奪う教育だ。民主主義の理想とは程遠い」と批判した。17

シカゴ大の学長で教育哲学者のHutchins氏も、著書で「新しい教育」の問題点を4点、指摘した。18

  1. 人類が発展したのは、「環境に適応しよう」ではなく「環境を自分たちで変えよう」と行動した人たちのおかげだ。「新しい教育」は「環境に適応しよう」を強調しすぎである。
  2. まわりの環境は変わるもの。それに対応するには、「自分で考える力」を子どもたちに教えなければいけない。
  3. 「いまの常識」だけを教えていては、世の中の間違いを正すことはできない。
  4. アメリカは「全ての人に教育を」という理想を掲げてきた。これは文字通り「全ての人に教育を」という意味なのか、「全ての人を、とりあえず学校に行かせておこう」という意味なのか、ハッキリさせよう。

まことにごもっともな指摘である。そしてSmith氏やHutchins氏に続けと、「新しい教育」を叩く本が次々と出版された。19

教育委員・Lynd氏の著書: 「いったい、公立学校は誰のものなんだ?進歩主義者のものか?それとも、われわれ市民のものか?」「学校の社会的役割を、進歩主義者たちに決めさせていいのか?」と指摘。

コロンビア大教授・Bestor氏の著書: 「いまの教育は、日常生活のハウツーが授業化されている。しかし、これは『生きるのに必要なことは、すべて学校で学ぶ』という、間違った前提がベースになっている。たとえば、西部のフロンティアを拓いた者達は、『開拓者になる方法』という授業を受けてはいないだろう?」と指摘。

教育学者・Woodring氏の著書: 「進歩主義が広まるまで、『できない子』への対応手段は、『その子を落第させること』だった。進歩主義が広まってからは、『できない子』への対応手段が、『その子を進級させるが、進級させたところで、まともなことは教えない』に変わった。結局、問題は解決していない。」と指摘。

「新しい教育」擁護派はこれらの指摘に直接答えることはできず、批判を無視するか、批判者への人格攻撃に終始した。ハーバードのとある教授も、「『新しい教育』を批判するのは、メンタルが弱いやつらだ (意訳)」とコメントした。20

9 / 「新しい教育」が終わった

大戦後の10年間、アメリカの社会は大きく動いたが、「新しい教育」は変化への対応が後手に回っていた。

  • 軍需産業のおかげで技術が発展し、数学と科学の需要が増えた。しかし、「新しい教育」では数学と科学は重要視されなかった。
  • 冷戦が始まり、世界中が緊迫感に包まれ、多くのアメリカ人が国際情勢に興味を持つように。しかし、「新しい教育」では世界史と語学は重要視されなかった。
  • アメリカ中で郊外化が進み、豊かな中産階級が爆発的に増えた。しかし、「新しい教育」は小数のエリートと大多数の労働階級から成る社会を前提としていた。
  • 男性が兵役で駆りだされた戦時中、女性が社会に進出した。しかし、「新しい教育」は「女は家事」と教えていた。
  • 1954年にブラウン判決が下り、公共施設を黒人用と白人用で分離するのが違法になった。しかし、「新しい教育」は黒人差別が当たり前の社会が前提だった。たとえば、ニュージャージー州のとある高校運営者は、「多くの黒人は特定の仕事に就けない。だから、わが校の2割を占める黒人の生徒たちに対しては、他の生徒とは別の職業訓練を行うべきだ」と発言していた。21

20世紀初頭では真新しかった「新しい教育」は、いつのまにか「古い教育」になっていた。「新しい教育」は、「学校=『現在の』社会の鏡」であり、「学校=『理想の未来の』社会の鏡」ではない、と譲らないまま下火になっていった。

「新しい教育」に止めが刺されたのは1957年のこと。この年の秋、ソ連が人工衛星「スプートニク1号」を打ち上げたのだ (スプートニク・ショック)。「このままではミサイル開発でソ連に負けてしまう」と考えた米政府は、数学・科学教育に大量の予算を投下。全米中の学校が、職業教育からアカデミック路線に舵を切った。22

こうして、半世紀以上続いた「新しい教育」ブームは、一夜にして終焉を迎えた。アメリカの教育史はその後、今も続く教育格差問題を中心に据えて歩むことになる。

ただ、「新しい教育」の影響は現場から完全には消えず、その後も日本ほどの詰め込み教育が施行されるには至らなかった。だから、厚切りジェイソン氏が言う「周りと合わせろ」的な同調圧力も、今のアメリカの学校では日本に比べて小さいのかもしれない。とはいえこの差は、日米の文化的な違いが大部分を占めているのかもしれないが。



10 / 「新しい教育」の日米比較 — 職業教育について

アメリカで「新しい教育」が時代遅れになる様子がとても興味深かったので、長々と語ってしまったが、ここから考察に入りたい。取り上げる点は2つある。

  1. 「新しい教育」の日米比較
  2. 「新しい教育」と「人生を変える教育」の比較

まず、日本との比較からはじめよう。

「新しい教育」の特徴は職業教育の台頭だったが、日本でもいま、職業教育の流れが来ている。たとえば去年、文部科学省の有識者会議で提案された「L型・G型大学」の話がネットで話題になり、賛否が割れた

冨山氏によれば、日本はグローバルに戦うごく一部の人材と、地域密着型の仕事に従事する多数の人材に二極分化しているとのことです。圧倒的に多数を占める、地域密着型の労働者の生産性を上げなければ、日本経済全体の底上げは難しいとして、一部の大学を除き、カリキュラムを職業訓練的なものに切り替えるべきだと主張したのです。

いまの大学を、グローバル人材を育てる「G(グローバル)型大学」と、職業訓練校的な教育をほどこす「L(ローカル)型大学」とに分けて、教育しようというわけです。

例: 文学・英文学部なら
シェイクスピア、文学概論 → 観光業で必要となる英語、地元の歴史・文化の名所説明力

例: 経済・経営学部なら
マイケル・ポーター、戦略論 → 簿記・会計、弥生会計ソフトの使い方

例: 工学部なら
機械力学、流体工学 → TOYOTAでつかわれている最新鋭の工作機械の使い方

しかし考えてみると、職業訓練に特化した「大学」は日本では少数派だが、職業訓練に特化した「学校」は実は多い。専門学校は山ほどあり、高校という括りで見れば、日本には5年制の高等専門学校(高専)もある。

とくに高専に関しては、アメリカの「新しい教育」が広まった背景と似た部分がある。

前に述べたように、アメリカでは1900~1950年に高校進学率が10%から65%に伸び、時を同じくして「新しい教育」が広まった。それにたいして、日本では大戦後の15年間(1945~1960年)に、高校進学率が10%から65%まで伸びた。当時の日本では工業化が急激に進み、技術者が大量に必要となったため、政府が1961年に高専を制度化したのである。

つまり、「高校進学率が10%→65%に増えた」と同時に「職業訓練をする高校が増えた」という点では、昔のアメリカと昔の日本は似ているのだ。

しかし、昔のアメリカではこの変化が教育世論を二分し、昔の日本ではそれほど話題にならなかった。それはなぜだろう?

いろいろな理由があるだろうが、アメリカではこの変化が「強制的」だったからかもしれない。

高校が義務教育のアメリカでは高校受験が無く、また「学区制」が敷かれている。学区制により、公立高校生はたいてい最寄り(自分の家がある学区内)の高校に通う。別の学区の高校に行くという選択肢はあまり無い。

つまり、最寄りの高校が「『新しい教育』を取り入れるので、数学の授業は廃止して家の建て方を教えます!」と言えば、勉強熱心な生徒やその親は「オーマイゴッド」とそれに従うか、「フ◯ック・ユー」と言って他の学区に引っ越すしかないのである。

日本のように「一般の高校に行くか、専門の高校に行くか」という進路の選択肢が無く、強制的に職業訓練が押し付けられたからこそ、アメリカでこの話が炎上したのかもしれない。

11 / ゆとり世代の物語

ぼくは88年生まれで、「ゆとり世代」の最年長者であり、いわば「ゆとり教育」のアーリーアダプターである。そしてここまで読まれた方なら、「新しい教育」は、アメリカ版「ゆとり教育」だったのでは?と思われたかもしれない。

というわけで、アメリカの「新しい教育」と日本の「ゆとり教育」は何が共通していて、何が違うのか、ゆとり世代なりに考えてみたい。

まず、日本の「ゆとり教育」の歴史を手短に説明する。ゆとりのぼくは難しい本が読めないので、文献には「池上彰の『日本の教育』がよくわかる本」をチョイスした。以下のほとんどはこの本からの引用である。

さて、ゆとり世代というと今の日本の20代を思い浮かべる人が多いが、今の40代も「ゆとり教育」を受けてきたことは、あまり知られていない。

ソ連の人工衛星「スプートニク1号」が打ち上げられ、アメリカで「新しい教育」が終わると同時に、戦後の混乱からの復興を目指す日本も「先進国に追い付け」と教育内容を強化した。結果、小学校の算数に集合や関数の概念が導入されるなど「詰め込み教育」になり、塾通いの子が増え、「落ちこぼれ」が社会問題になった。

これを受けて、1977年に学習指導要領が改訂された。「学校にゆとりを!」が合言葉で、授業時間数が減り、かわりに勉強以外の時間として自由に使える「ゆとりの時間」が導入された。これが、いまの40代が受けた「ゆとり教育」である。

しかし、授業時間が減っても、教える内容はそのままだった。たとえば、算数の教科書では練習問題がバッサリと削られた。もちろん、これでは学力は向上せず、「落ちこぼれ」問題も解決しない。けっきょく、再度1989年に学習指導要領が改訂され、教える内容がまたもや増え、「第一次ゆとり教育」は終わりを告げた。

90年代後半に入ると、校内暴力・いじめ・不登校など、青少年の問題が目立つようになる。さらに、サラリーマンの週休二日制が普及し、学校も合わせて週五日制になると、再び「ゆとり」を求める声が増えた。

その結果、1998年にまた学習指導要領が改訂され、以前の反省の上に立ち、授業時間以上に教える内容が大幅に削減された。授業時間数が約1割減ったのに対し、教える内容は約3割も減ったらしい。算数では、「(上底+下底)×高さ÷2」が無くなり、円周率が3になった。

この学習指導要領が施行された2002年からの教育が、一般に知られている「ゆとり教育」である。

ゆとり教育は、詰め込み教育への単なるアンチテーゼではなかった。「新しい学力観」なるものが提唱され、「自ら学び、自ら考える力を」「社会の変化に主体的に対応できる力を」といった、意識高い系のスローガンが掲げられた。また、「総合的な学習の時間」が登場。「国際理解」「情報」「環境」「福祉・健康」などの題材をベースに、具体的な学習内容は現場の創意工夫に任されることになった。ここらへんは、アメリカの「新しい教育」と近い。

むろん、「ゆとり教育は、学力の低下を招く」と四方八方から批判があったが、それでもゆとり教育はしぶとく生き延びた。しかし、OECD生徒の学習到達度調査(PISA)の結果が2004年と2007年に発表され、OECD諸国の中で、日本が読解・数学・科学の全分野で順位を下げたことが分かると、「ゆとり教育はダメだ」という世論が強まった。

現状を重く受け止めた政府は「脱ゆとり教育」に方針を転換し、2008年にまたしても学習指導要領を改訂。ゆとりの本丸だった「総合的な学習の時間」の約3分の1が削られ、基礎科目の授業時間が1割増加し、英語教育のスタートが中1から小5に変更された。

かくして、日本のゆとり教育は幻となったのである。

12 / 「新しい教育」は、アメリカ版「ゆとり教育」だったのか?

アメリカの「新しい教育 (1900-1957)」も日本の「ゆとり教育 (2000年代)」も、「落ちこぼれ」が増えたり、詰め込み教育が疑問視されたことによって始まった。双方とも「これからの時代、ガリ勉なだけではダメだ」「生きる力を育もう」という発想を取り入れ、双方とも外圧(「新しい教育」→スプートニク・ショック、「ゆとり教育」→PISAショック)によって潰された。

これらの点においては、「新しい教育」と「ゆとり教育」は大いに似ている。アメリカの「新しい教育」の誕生とその末路が、日本でも「ゆとり教育」以前に認知されていれば、ゆとり教育は施行されず、ぼくも「ゆとり」と馬鹿にされずに済んだかもしれない。

では、アメリカの「新しい教育」と、日本の「ゆとり教育」の違いは何だろうか?

数ある違いの中で、ぼくが最も重要視するのは、「世の中」に対する姿勢の差だ。

  • アメリカの「新しい教育」は、「世の中とはこういうものだから、学校はそれに従う生徒を輩出すべき」という発想から生まれた。だが、時代の変化についていけず失敗した。
  • 日本の「ゆとり教育」は、「世の中はこれからどうなるか分からないから、学校はそれに対応できる生徒を輩出すべき」という発想から生まれた。だが、理想を現実に落とし込めず失敗した。

日本の「ゆとり教育」は、理想の段階では高尚だった。その証拠として、日本の「ゆとり教育」が批判された際、当時の文部省の銭谷審議官はこう答えている。

文部省は、決して知識を軽視しているわけではありません。ただ、わからないものをたくさん学び、わからないままに終わる、そういう見せかけの知識であってはならない。

本当に必要なものを、最小限きちんと身につけ、その上でそれを発展させていける、さらに進んで学習できるような力を、小・中学校の段階で身につけられるようにする、そのことが子どもたちの現在と将来にとって、本当に必要なことではないかと考えたわけです。

さきほども述べたように、アメリカの「新しい教育」信者は、「さらに進んで学習」するくらいなら、デートの作法を勉強して欲しい、と考えていた。加えて、アメリカの「新しい教育」は、日本の「ゆとり教育」の約100年前に生まれている。100年前のアメリカでは、世の中の変化のスピードも遅かったからこそ、「世の中とはこういうものだ」と言えたのだろう。

結果はどちらの教育も散々だったが、少なくとも理想の段階では、ぼくは「ゆとり教育」を評価したい。

話をまとめると、アメリカの「新しい教育」は、日本の職業教育の歴史・ゆとり教育の歴史それぞれにおいて、共通点と相違点があったといえる。

アメリカの「新しい教育」の隆盛どころか、アメリカの教育史に詳しい日本人は少ないが、これを機に興味を持ってくれる人が増えたら、書いた甲斐があったというものだ。

13 / 「新しい教育」と「人生を変える教育」(前置き)

「新しい教育」の日米比較を終えたところで、次は「新しい教育」と「人生を変える教育」について語ってみたい。

まずは前置きから。

繰り返し述べてきたように、昔のアメリカの「新しい教育」は、「いままでの詰め込み的な教え方は古い。これからの時代は、社会に適合するのに必要なことを学校で教えるべきだ」という発想から生まれた。これに対し、親は「学力が低下する」と懸念し、先生は「現場が疲弊する」と苦言を呈した。

だが、最も大きかった批判は、「社会に適合することだけを教えるのは、『こういう大人になりなさい』とか『身の程をわきまえろ』と教えているのと同じだ。『どんな環境に生まれても、勉強と仕事を頑張れば、自分の人生は自分で変えられる』という、アメリカン・ドリームの発想はどこに行ったのだ」というものだった。

そのアメリカン・ドリームをつかんだ故スティーブ・ジョブズ氏は、いまから20年ほど前のインタビューでこう言った。(拙訳)

多くの人は、「世の中そういうものさ」とか、「つつましく生きなさい」とか、「あまり波風を立てず、貯金して、いい家庭を持ちなさい」と周りに言われながら育つものだ。

でも、それはとても息苦しい人生だ。とある事実に気づけば、君はもっと広々とした人生を生きられるようになる。

その事実とは、「人生」と言う名の、君を取り囲む全てのことは、君より賢いとは限らない誰かが作り出したということだ。だから君が、誰かの人生の一部を作り上げることだってできる。

人生は君の手で変えることも、触れることもできるし、指で突いてみれば、反対側から何かが飛び出るかもしれない。慣れてきたら、いつか人生を自在に操ることだってできるだろう。

用意された人生を生きるという間違った考えを捨て、人生を抱きしめ、変化させ、改善させ、自分の足跡を残していくこと。それが、生きる上で最も大切なことかもしれない。

ジョブズ氏の言葉を借りるなら、当時のアメリカの「新しい教育」は、「用意された人生を生きる教育」だった。それを批判した人たちは、「子どもたちが自分の手で、自分の人生を変えるための教育」が必要である、と主張した。

まさに、「新しい教育」と「人生を変える教育」の戦いだった。

知っての通り、この戦いは、時代の変化に対応できなかった「新しい教育」の自滅という形で幕を下ろした。しかし、「人生を変える教育」側も、いったいどのような教育が「人生を変える」のに役立つかは答えられなかった。詰め込み型のアカデミック教育、つまり「新しい教育」支持者に「古い」と馬鹿にされてきた教育こそ、「人生を変える教育」だとは、言い切れたとしても証明はできなかった。

そしてこれが本題なのだが、両者の考え方の差、ぶつかり合いは、いまも教育界に残っている気がする。現代における「新しい教育」と「人生を変える教育」の対立に敏感になることは、教育を論じる上で大切だと思うので、すこし立ち止まって考えてみたい。

14 / 21世紀の「新しい教育」 = エドテック

21世紀の今における「新しい教育」とは何だろう?答えはいくつかあるだろうが、最も勢いがあるのは、「ITを活用した教育」だと思う。

ぼくが働いているシリコンバレーのEdSurge社は、教育×ITに特化したメディア・edsurge.comを運営している。教育×ITの分野は「エドテック」と呼ばれており、アメリカのエドテック業界では、edsurge.comはトップクラスの知名度を誇っている。

(ちなみに、EdSurge社の沿革と事業内容は、以前「もっとも真実に近い文を書こう。とある教育メディアがシリコンバレーで生まれた話」という記事に書いた。)

日本でも最近、ベネッセなどの大企業がエドテックに参入したり、ニコニコ動画をつくったカドカワがインターネットを活用した通信制高校を開設した。だが、アメリカはこの分野では先を行っていて、学校現場でITやアプリ・ウェブサービスを導入するのは、もはや当たり前になっている。実感が掴めないかもしれないが、とりあえず関連する数字を載せておく。

数字で見る、アメリカのエドテック

1. ハードウェア市場: 2014年には、アメリカの小学校から高校向けに、合わせて1300万台のPCとタブレットが販売された。アメリカの小学生から高校生の数は約5000万人で、教員の数は約300万人。教員の数を差し引いても、生徒の約4~5人に1人が新品の端末を持っている計算になる。中古の端末も使えることを考えれば、生徒と端末の比率は2~3人に1台、と考えて良いだろう。デバイスの販売数も2013年から2014年に33%増加したので、アメリカの全生徒が端末を持つ時代も近い。

ちなみに急成長を遂げているのは、日本でも去年販売が開始されたChromebook。2015年の6~8月の間では、アメリカの小学校から高校向けに販売されたデバイスの半数がChromebookだったという。

2. ソフトウェア市場: デジタル教材などの「教育向けソフトウェア」の市場規模は、2014年のアメリカで約1兆円だった。これは同年度の日本の学習塾・予備校市場(約9500億円)とほぼ同じだ。

日本の生徒数は少子化の影響でアメリカの生徒数の約3分の1である。だが、日本の学習塾に使われているお金の約3分の1が、日本で教育向けソフトウェアに使われているか?と考えてみると、答えはNoだろう。それだけ、アメリカでは教育のデジタル化が進んでいるということだ。

3. ベンチャーの資金調達市場: アメリカ国内のエドテック企業によるベンチャー資金調達額は、2014年だけで約1700億円を超えた。日本の「全」ベンチャーの資金調達額を合わせても2014年で約1200億円と、アメリカのエドテック業界の約3分の2しかない。

エドテックのソフトウェアの例・ST Math

では、具体的にどんなエドテック・ソフトウェアがアメリカで売られているのか?弊社の調べによると、1000種類以上のソフトウェアが現在観測されているが、代表的なものを選べと言われたら、ぼくはST Mathを挙げるだろう。

ST Mathの「ST」は「Spacial-Temporal」、すなわち「空間と時間」の略で、小学校から高校までの数学をゲーム感覚で学べるアプリである。百聞は一見にしかずなので、下の動画を1~2分ほど観て頂ければ概要がつかめるだろう。またST Mathは、最先端の教育学の研究を元に作られており、十本以上ある論文もこちらから読める

「ゲーム感覚で数学を学べる」と聞くと、よくありそうなアプリに思える。だがST Mathの凄さは、小学校から高校までの数学カリキュラムを網羅する教材の量と、高い普及率にある。執筆時点でST Mathのユーザー数はアメリカだけで、

  • 生徒: 80万人。アメリカの全生徒数の1.6%。だが、ST Mathは主に「数学ができない子」、すなわち下位10~20%層をターゲットにしている。それで計算すると、「できない子」の約10人に1人がST Mathを使っていることになる。
  • 教師: 3.1万人。アメリカの全教師数の1%。だが、「数学を教えていて、しかも『できない子』を教えている」先生だけに限定すれば、かなり普及していると言えるだろう。

また、アメリカの15の大都市で学力テストの結果を見ると、全都市で、ST Mathを利用している学校の生徒は数学の成績が向上したらしい

ちなみに、ST Mathを含む多くのエドテックのソフトウェアは、基本的には家庭向けに販売されていない。学校や学区がライセンスを購入し、学校や学区全体に配布する仕組みになっている。

アメリカの公立校には日本ほど厳しく指定された学習指導要領が無く、また先生・学校・学区それぞれに教材を選ぶ権限が与えられている。教科書検定制度がある日本とはまさに真逆だ。この点については、以前に書いた記事「アメリカの教科書はなぜ重たいのか」で詳しく説明したので割愛する。

早い話が、アメリカでは公立校にデジタル教材が普及する土壌があるのだ。

エドテックの実装の例・ブレンド型学習

では、実際に学校でどのようにエドテックが使われているかというと、いま最も実用化が進んでいるのが「ブレンド型学習 (Blended Learning)」というモデルだ。ブレンドコーヒーが数種の豆を混ぜ合わせたものであるように、ブレンド型学習とは、従来型の学習とデジタル教材の学習をひとつの教室で混ぜ合わせる指導法なのである。

ブレンド型学習を行っている教室の様子はこちら。0:40に先生が講義をしている様子、0:45に生徒がグループワークをしている様子、0:48に生徒がデジタル教材に取り組んでいる様子が映されていている。また0:54に解説されているように、生徒は講義・グループワーク・デジタル教材の間を数十分間隔でローテーションする仕組みだ。

(ちなみに、この学校の名前はAspire Public Schools。シリコンバレーから運転して40分のところにある低所得者地区・Fruitvaleにある公立校である。じつは、ぼくも会社のコネを使い、2015年10月28日にこの学校の見学に行った。教室はこのビデオそっくりで、数学のデジタル教材には先ほど紹介したST Mathが使われていた。)

ブレンド型学習が人気なのは、従来式とエドテック式の「良いとこ取り」だからだ。

かりに30人学級のクラスで、常に20人の生徒がデジタル教材に取り組んでいる状態を保てば、先生が対面で教える人数は10人になり、スーパー少人数学級が実現できる。デジタル教材で教えられる部分はデジタル教材に任せれば、先生のエネルギーを小数の生徒に集中できる。

少子化と財政難を理由に、日本でも教員削減と少人数学級について議論が起きているが、ブレンド型学習が解決しようとしている問題は、まさにそこなのだ。

また、デジタル教材は、子どもがそれぞれのペースで進めることができる。習熟度に応じて問題が簡単になったり難しくなったりするデジタル教材も多い。さらに、それぞれの生徒の習熟度をグラフ化して先生が見ることも可能だ。(ちなみに、デジタル教材がもたらす個別学習のメリットについては、カーン・アカデミー創業者の「世界はひとつの教室」という本が詳しい。)

したがってこのブレンド型学習は、先生からの支援と、個別化された指導が最も必要な子たちに効果を発揮している。

少し前までは「反転授業」がアメリカのエドテック界では人気だったが、最近はブレンド型学習にトレンドが移ったようである。ブレンド型学習の本も多く出版されるようになり、「イノベーションのジレンマ」を書いたクリステンセン教授も、 「Blended」というブレンド型学習の入門書ではしがきを書いている。

21世紀の「新しい教育」 = エドテック

長い章になってしまったが、「21世紀の『新しい教育』 = エドテック」であるとぼくが思う理由がお分かり頂けただろうか。

エドテックに関わる会社で働いている身としては、自分の意見に先入観がブレンドされているのは否めない。だが、21世紀におけるITの影響力は絶大で、教育もその影響を受けつつあるのは、紛れもない事実だと思う。

ちなみに、エドテックの最終的な目標は、テクノロジーと先生がタッグを組んで、それぞれの生徒のニーズに合った学びを提供することだ。昔のアメリカの「新しい教育」と比べると、「世の中のニーズに合った学び」という目標が、「生徒のニーズに合った学び」に変わったのである。

最後に余談だが、ぼくは2012年に、エドテックについての記事を@typeが運営するメディアに寄稿している。荒い文章だし、情報も古いが、いちおうリンクを貼っておく。

15 / 「人生を変える教育」に、ITは必要か?

昔のアメリカで、「新しい教育」支持者と「人生を変える教育」支持者が対立していた話に戻ろう。

21世紀の「新しい教育」はエドテックだとぼくは思うが、21世紀の「人生を変える教育」がいったい何なのかは分からない。だが、「子どもたちが自分の手で、自分の人生を変えることができるように」という理想を追う人は今でも多いのではないか。

そして21世紀でも、「新しい教育」支持者と「人生を変える教育」支持者は、再度ぶつかり合うことになるとぼくは思う。

それを確かめるために、ためしにひとつ質問をしてみたい。

もし、21世紀における「人生を変える教育」がどんな教育かを定義したとする。その定義のなかに、「IT」という言葉は含まれているだろうか?

いくつか例をあげて、この質問に答えてみよう。

「人生を変える教育」の極端な例: ビリギャル

日本では最近、「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」という本が累計100万部のベストセラーになり、映画化もされた。内容を手短に言うと、勉強ができないギャルの高校生が、坪田信貴さんという名塾講師(本の著者)に出会い、猛勉強の結果、慶応大学に合格するという典型的なサクセスストーリー(実話)である。

ぼくは映画は観てないが、この記事を書くためだけに、本は最後まで読んだ。坪田さんの鼻につく表現が多く、それのせいで良い話が台無しになっていて、久しぶりに「読んで時間を無駄にした」と思える本だった。

しかし、少なくとも主人公の「ビリギャル」にとって、坪田さんの指導は「彼女の人生を変える教育」だったのだろう。Amazonには「もともと地頭が良い子だった」という批判が多いが、坪田さんもそれは認めていて、その上で彼は文中でこう反論している。

「さやかちゃんの地頭が元々良かっただけでは?」「さやかちゃんに、それだけがんばれる素質があっただけでは?」という方もおられるでしょう。ですが、そういう子どもが学校で「人間のクズ」と呼ばれ、学年ビリになって放置されていたのが現実なのです。

かりに「ビリギャル」のような話が、21世紀における「人生を変える教育」の一例だとしよう。そこで先ほどの質問にならって、「この話に『ITを使った学び』は含まれているのか?」と問うてみると、答えはNoである。

当たり前かもしれないが、デジタル教材の話どころか、インターネットで学んだという話も「ビリギャル」には一切出てこない。「パソコン」という単語が出てくるのも、受験の結果発表のときだけである。

つまり、「ビリギャル」という極端な例においては、21世紀における「人生を変える教育」にITは必要ない、と言えるかもしれないのだ。

「人生を変える教育」の極端な例: バカヤンキー

「ビリギャルは日本の受験の話である。日本の受験は時代遅れだ。だから、ビリギャルが21世紀の『人生を変える教育』だとは言えない」という意見もあるだろう。確かにそうかもしれない。

では、やっぱり時代はグローバルでしょ!ということなら、「バカヤンキー」の話はどうだろうか?

バカヤンキーでも死ぬ気でやれば世界の名門大学で戦える」は、ぼくの友人の鈴木琢也くんが2015年10月に出版した本である。

もし元とび職の不良が世界の名門大学に入学したら」という、なんと70万以上のページビューを獲得したブログ記事が本の元ネタになっており、とりあえず内容を把握したい方は記事を先に読んでみてほしい。

(ちなみに、表紙もタイトルも「ビリギャル」を意識したものになっているが、それは出版社の方が決めたことらしい。内容に関しては、すべて琢也くんが取り仕切ることができたとのこと。)

琢也くんの来歴はこちら (本書から抜粋):

1986年神奈川県川崎市生まれ。家族の不和が原因で中学生からヤンキーに。偏差値30台の県内最低の高校を卒業後、すぐとび職に。生命保険会社に16年間勤める父親が、初めて業績優秀者として表彰されたのを見て一念発起、専門学校に通いその後IT企業に。リーマン・ショックの直撃を受けた職場で「やれている同僚」を分析、彼らが卒業しているトップランクの大学に入ることを決意。カリフォルニア大学バークレー校に合格、卒業。アメリカの超優良企業の内定を蹴り、日本最大のビジネススクールであるグロービスに就職。

もちろん、「トップランクの大学に入ることを決意」から「カリフォルニア大学バークレー校に合格、卒業」の間には彼の想像を絶する努力があり、それは本書で事細かに解説されている。たとえば、カリフォルニア大学バークレー校を受験する前の2年間、彼はバークレー市にある短大に通っていたのだが、その「2年間、勉強量が10時間を下回った日は一日もなかった」らしい。

左が琢也くん。2015年5月、彼の卒業パーティーにて。

中立的な意見でなくて申し訳ないが、「バカヤンキー」は「ビリギャル」より遥かに良い本だと思う。ビリギャルと違い、琢也くん本人が書いていることも大きい。とくに、社会人になって「もっと学生のころに勉強していれば良かった」と思う方に読んで欲しい。(購入リンクはこちら。)

話が逸れてしまったが、さきほどの質問に戻ると、「バカヤンキー」の話に「ITを使った学び」は含まれているのだろうか。

結論から言うと、TEDの動画で英語を勉強した話や、ブログを使って留学情報を発信した話など、文中に「ITを使った学び」はたびたび登場する。しかしITはあくまで話の脇役で、最もスポットライトが当てられたのは、琢也くんが試行錯誤して次々と目標を達成していったエピソードである。

また、琢也くんは「Unique - 変わりたい人のためのメディア」という個人ブログを運営していて、ブログの紹介文に「人が変わっていく行動プロセス」が以下のように書かれている。

  1. ロールモデルの存在を知る
  2. インスパイアされる
  3. 情報収集する
  4. 行動し、失敗する
  5. 改善する (ロールモデルを観察し、練習して「型」を身に付ける)
  6. 目標を達成する
  7. 新しい目標を立てる

むろん、ここにITという言葉は登場していない。上記のステップを実践するのが彼にとっての「人生を変える教育」だとしたら、ITは補助的存在でしかないのだ。

まとめると、ビリギャルと同じように、「バカヤンキー」という21世紀の「人生を変える教育」の話においても、ITは「絶対に必要」とは言えないのである。

16 / 「人生を変える教育」に、ITは必要か? パート2

「ビリギャル」と「バカヤンキー」は極端な例かもしれないが、両方とも「人生を変える教育」の実践例であり、21世紀の「新しい教育」であるITにはあまり触れられていなかった。

では、21世紀における「人生を変える教育」に、ITはそれほど必要ないと結論づけていいのだろうか?

答えを急ぐ前に、反対側の視点を見てみよう。

「人生を変える教育」の極端な例: 途上国の「エドテック」

数ヶ月前に、元DeNA創業メンバーの渡辺氏が創業したエドテック企業・Quipperリクルートに買収された。Quipperは先生向けに業務効率化ツールを販売していて、途上国でも使われているのだが、それについて渡辺氏はこうコメントしている。

インドネシアやメキシコにはICTルームというのがあって、タブレットやPCがあります。教師の人材不足の中で、ネットを使って子どもたちに最高の教材を使わせたい、という危機感が強いのだと思います。(中略) その辺は実は日本より進んでいるかもしれません。

(画像ソース)

世界レベルの教育を受けることで人生が変わる度合いは、先進国よりも途上国の子たちのほうが大きいだろう。シリコンバレーで途上国からの移民2世・3世が活躍している姿を見ると、そう思わざるを得ない。

そして、教師の人材不足が深刻な途上国では、まさにエドテックが教育の質のカギを握っているのだ。

つまり途上国の子たちにとって、かれらの「人生を変える教育」にITは欠かせないのかもしれない。すなわち、この例では「新しい教育」イコール「人生を変える教育」になるのだ。

「人生を変える教育」の極端な例: プログラミングブートキャンプ

もうひとつの例は、いま米国で流行っている、社会人向けのプログラミングブートキャンプ(塾)である。

ブートキャンプでは、プログラミング初心者の社会人に短期間(3ヶ月ほど)のプログラミング集中講座が行われ、生徒は卒業後、IT企業で即戦力として活躍していく。現在アメリカには60校以上のブートキャンプがあり、2015年には全米で1万6000人がいずれかのブートキャンプを卒業するらしい。

(画像ソース)

ブートキャンプがこれだけ流行っている理由はいくつかある。

  1. プログラミングの技術(開発環境)の変化が最近は激しいので、最新のノウハウを学んだ初心者のほうが、古い知識だけしか持たないベテランより即戦力になる可能性が高まった。大学のコンピューターサイエンス学部でも、多くの学校は年老いた教授が古い知識を教えていることが多い。それゆえ、最新のノウハウを教えられるブートキャンプにはニーズがある。
  2. いわゆる「スマホアプリ」や「ウェブアプリ」を作るのが、技術革新のおかげで年々容易になってきている。すなわち、「初心者が、3ヶ月でアプリを作れるようになる確率」が、数年前に比べて高くなっているので、ブートキャンプの短期講習モデルが機能するようになった。
  3. 以前、グーグルが東大生を年収約1800万円で「青田買い」したニュースがあったが、IT大国アメリカではプログラマーの需要や年収が増加している。特にシリコンバレーなら、新米プログラマの年収が1000万円を超えるのは当たり前だ。文系職の雇用は逆に厳しくなっているので、相対的にブートキャンプに人気が集まっている。
  4. 新卒の給料、すなわち卒業後の見返りが高いので、ブートキャンプは学費を高くできる。多くのブートキャンプは参加費が3ヶ月で100万円以上。ブートキャンプはその儲けを、第一線で活躍する優秀な講師を雇うために使うことができる。結果、講師の質が高くなる → 即戦力が育ちやすくなる → 企業がブートキャンプ卒業生を雇いたがる、という好循環が生まれる。
  5. プログラマーの人材不足に悩まされる企業が、ブートキャンプを直接支援するように。つい最近だと、Googleとプログラマ教育のGeneral Assemblyが組んでAndroidデベロッパ量産のための特訓コースを展開し始めたらしい。

朝日新聞も去年、サンフランシスコ市内にあるプログラミングブートキャンプを取り上げた

ハックリアクターの授業料は、1日11時間、週6日の3ヶ月コースで約1万8千ドル(約214万円)。卒業生は99%の就職率を誇るという。就職先はグーグル、フェイスブック、アップルといったシリコンバレーの大手企業からスタートアップと呼ばれる新興企業まで多岐にわたる。卒業生の初年度の平均年収は約10万5千ドル(約1250万円)という。

(中略) ネット上の報告書「コースリポート」によると、ブートキャンプを修了した人の給料は平均で44%上がり、上昇額は2万5千ドル(約297万円)という。

ぼくはブートキャンプには参加したことがないが、卒業した友人をゆうに10人以上は知っていて、全員がエンジニアかデザイナーへのキャリアチェンジに成功している。ぼくは会社でエンジニアの人事も担当していて、ブートキャンプの卒業生を雇ったこともある。そしてぼくの弟も、朝日新聞が取り上げたブートキャンプ「ハックリアクター」の卒業生だ。

その全員に話を聞いてみたところ、みな「ブートキャンプを卒業したことで、少なくとも自分のキャリアは大幅に変わった」と言っていた。ぼくから見てもそう思う。

彼らの言葉を信じるのなら、途上国のエドテックと同じく、プログラミングブートキャンプも「人生を変える教育」であり、同時に「ITを使った、新しい教育」でもあるということだ。

(余談だが、先日ぼくはRebuild.fmという、日本のエンジニアに最も人気のポッドキャストにゲスト出演させてもらった。その際にブートキャンプの裏事情について語ったので、興味がある方は聴いてみてほしい。)

追記 (2016/3/3): Forbes Japanにもハックリアクターの記事が掲載されていました

「ビリギャル・バカヤンキー」v.s.「途上国のエドテック・プログラミングブートキャンプ」

21世紀の「人生を変える教育」の形はひとつではない。

「ビリギャル」や「バカヤンキー」のように、21世紀の「新しい教育」、すなわちITとは関わりが薄い例もある。反対に、「途上国のエドテック」や「プログラミングブートキャンプ」のように、ITとの結びつきが強い例もある。

当たり前かもしれないけれど、こうやって極端な例を出すことで、その中間にある真実が見えてくるものだと思う。

と、意識高めに締めくくったところで、話のまとめに入ろう。

17 / 「新しい教育」と「人生を変える教育」(覚えておきたいこと)

ぼくはこの3年間、「シリコンバレーで、教育とITに関わる仕事をしています」というセルフブランディングに勤しんでいた。

誰彼構わずそう自己紹介するたびに、さまざまな意見を耳にした。教育、とりわけ教育にITを使うことについては、日本人・アメリカ人問わず、誰もが一家言あるらしい。

そして、集めた意見をまとめてみると、厚切りジェイソン氏のツイートの如く、「パターンパターン!見えてきたよ!」と感じるようになった。

そのパターンを一言で言うと、人々の「教育×IT」に対する意見は、

  1. ITはぜひとも教育に使うべき。テクノロジー万歳!
  2. ITはあくまで補助に徹するべき。それよりも、◯のほうが教育にとって大事だ!
  3. ITを教育にだと?そもそも私はパソコンが使えない。そしてスマホは子どもにとって害悪だ!

と、おおまかに3種類に分けられたのだ。(3)はとくに日本の年配の方に多いが、そもそものITリテラシーの問題は、時間が経てば解決するだろう。だから、(1)と(2)だけに注目してみよう。

  1. ITはぜひとも教育に使うべき。テクノロジー万歳!
  2. ITはあくまで補助に徹するべき。それよりも、◯のほうが教育にとって大事だ!

はじめは、これは単に「ITが好きな人と、嫌いな人の違いかな」と思っていた。しかし、ぼくはITは好きだが、立場的には(2)のほうが近い。けれども、それが何故なのか、言語化することができなかった。

だが、よくよく考えてみると、これは昔のアメリカで起こった、「新しい教育」と「人生を変える教育」の対立とそっくりなのだ。違いは、今の「新しい教育」が「エドテック」であるという点だけだ。

なぜ、いまもこの対立があるのか。それはさきほど説明した通り、

  1. エドテック(教育×IT)が、21世紀の「新しい教育」である。
  2. 21世紀の「人生を変える教育」には、ITが主役のケースと、ITが脇役のケースがある。

そして、(2)のどちらのケースに個人的に詳しいか、共感できるかによって、ひとは「新しい教育」派か「人生を変える教育」派に別れるのではないかと思う。

「ふーん、だから何?」と言われそうだ。

しかし、ぼくは現在も「新しい教育」派と「人生を変える教育」派のギャップは大きく、教育を前に進めるにはそのギャップを埋めないといけないと思っている。

「教育関係者は、ITの大事さを分かってくれないんですよ」とか、「教育にITをって言うけど、なんかモヤモヤして、腑に落ちない」という意見は、実によく聞く。

ぼくの経験上、こういったすれ違いは結局、「あいつらにはITの理解が足りない」「あいつらには教育の理解が足りない」と片付けられてしまう。

でも、本当に理解が足りないのは、ぼくが長々と書いてきた「新しい教育」と「人生を変える教育」についてではないだろうか?

昔のアメリカで起きた両者の対立の歴史を知っていれば、互いの立場の違いを尊重しやすくなるのではないか?

21世紀の「人生を変える教育」に、ITの要素が含まれる事と含まれない事があることを知っていれば、もう少し生産的な対話ができるのではないか?

そうすれば、学ぶ人々にとってより効果的な教育を、われわれは提供できるのではないか?

…これが、シリコンバレーの教育ベンチャーで働くイチ技術者としての、ぼくの問題意識である。

18 / おわりに

(話が少し横道に逸れることになる。これが最後の章なので、できればあと数分ほどお付き合い頂きたい。)

「賛成する人がほとんどいない、大切な真実はなんだろう?」

シリコンバレー随一の投資家・ピーター・ティール氏は、著書「Zero to One」の冒頭で、そんな問いを投げかけていた。Paypalの創業社長であり、のちにFacebook初の外部投資家になったティール氏は、人材や会社の良し悪しを見極めるために、この質問を訊いていたようだ。

採用面接でかならず訊く質問がある。「賛成する人がほとんどいない、大切な真実はなんだろう?」

ストレートな質問なので、ちょっと考えれば答えられそうだ。だけど実際には、なかなか難しい。学校では基本的に異論のない知識しか教わらないので、この質問は知的なハードルが高い。それに、その答えは明らかに常識外れなものになるので、心理的なハードルも高いからだ。明晰な思考のできる人は珍しいし、勇気のある人は天才よりもさらに珍しい。

僕がよく聞かされるのは、こんな答えだ。

「この国の教育制度は崩壊している。今すぐに立て直さなければ」 「アメリカは非凡な国家だ」「神は存在しない」 

どの答えも感心しない。最初の二つは真実かもしれないけれど、多くの人が賛成するだろう。三つ目はおなじみの論争の一方に味方しているだけだ。

正しい答えは次のような形になるはずだ。「世の中のほとんどの人はXを信じているが、真実はXの逆である」。僕の答えは本章で後ほど紹介しよう。

なぜ、「賛成する人がほとんどいない、大切な真実」を、かれは大切にするのか。ティール氏によれば、この質問は「あなたには、未来が見えていますか?」と問うているらしい。

突き詰めて考えれば、未来とは、まだ訪れていないすべての瞬間だ。でも、未来がなぜ特別で大切なのかといえば、それが「まだ訪れていない」からではなく、その時に「世界が今と違う姿になっている」からだ。

だから、もしこれから100年間社会が変わらなければ、未来は100年以上先にならないとやってこないことになる。もし次の10年でものごとが急激に変わるなら、未来は手の届くところにあるということだ。未来を正確に予測できる人などいないけれど、次の二つのことだけは確かだ。未来は今と違う、だけど未来は今の世界がもとになっている。あの逆説的な質問への答えのほとんどは、異なる視点で現在を見ているだけだ。視点が未来に近づくほど、いい答えになる。

未来をつくる仲間を集めるのが起業家で、未来をつくる会社を助けるのが投資家である。そのどちらも経験したティール氏が、この質問を好むのも頷けるだろう。

Zero to Oneは2015年度の日本ビジネス書大賞を受賞した。さらに、「ほぼ日刊イトイ新聞」でおなじみのコピーライター・糸井重里さんとの対談企画まで行われた。糸井さんは、Zero to Oneを「まるまる2回」読み、彼にとって「それは、けっこう、めずらしいこと」だったらしい。

対談の中で、糸井さんはこう語っている

糸井:
いま、ティールさんが講義のなかで
Googleがスタートしたときの話を
されてましたけど、ぼくらの前に
Googleという検索エンジンが登場したときは、
みんな「速いっ!」ってびっくりしたんです。 
そういう驚きがどこにもなくなって、
ちょっとずつよくしたものばかりがある時代が
長く続くと、退屈してくるわけです。
そんななかでティールさんが書いた
『ゼロ・トゥ・ワン』という本を読んだら、
本のいちばん最初のところに
「賛成する人がほとんどいない、
大切な真実はなんだろう?」という
あの問いかけが書いてあった。
それで、ショックを受けたんですね。
「ぼくはそんなテーマを持ってるだろうか?」
って自分に問いかけましたし、
「この本の著者はそれを持ってるだろうか?」
ということにも興味を覚えた。

ティール氏の「答え」も、糸井さんが非常に読み易い文体で書いている。少し長いし、本を読まれた方にとっては復習になるが、騙されたと思って読んでみてほしい。

いままでの教育の話と何の関係があるのかは、このあとすぐに説明する。

ティール:
多くの人たちは、
「資本主義」と「競争」を同義語だと考えます。
けれども、私は
「資本主義」と「競争」は反意語だと思っています。

資本主義者は資本を蓄積しますが、
完全競争の世界では、
「すべての利益が競争によって失われていく」
と私は思っています。

(中略) 私の本のなかでは、悪いビジネスの例を挙げています。
それは、たとえば、
お寿司のレストランを東京で開く、といったことです。
私が住んでいるサンフランシスコで
お寿司のレストランを開くというのも
非常に難しいですが、
東京では、もっとたいへんだと思われます。
東京のお寿司はとてもレベルが高くて、競合のお店も多い。
消費者にとってはすばらしい環境ですが、
レストランを開いて成功するというのは非常に難しい。
似通ったお店ばかりが並んでしまい、
自分のレストランを差別化していくのが
非常に難しくなります。

逆に、たいへんうまくいっている独占の例として、
わかりやすいのはGoogleです。
Googleは、いまや唯一無二の
テクノロジーを持つ企業となりました。
2002年以降、Yahoo!やMicrosoftに大きな差をつけていて、
十数年間、大きな利益を上げ続けています。
それは、競合がほとんどまったくいないからです。

この「独占」対「競争」の考えこそ、
ビジネスを理解する上で非常に大切であるにもかかわらず、
多くの人々がなかなか理解できていない。
それは、なぜか。

(中略) まず、知識の問題としては、
「ある会社が独占していることは話題にのぼらない」
ということがあります。
なぜなら、独占をしている人たちは、
「独占している事実を伏せたがる」からです。
もしも自分たちが独占していたら、
「自分たちが独占している」とはアナウンスしません。
「独占している」と言うと人々は警戒しますから、
できるだけ独占していることを明かさないようにします。

といっても、ウソを言うわけではありません。
どうするかというと、
たとえば、独占していることを隠すために、
「自分たちがビジネスをしている市場はとても大きい」
というふうに表現します。
Googleの場合だったら、自分たちの業務を、
「検索エンジンビジネス」と
狭義に定義することはしません。
逆に、もっと定義を広げ、曖昧にして、
Googleは自分たちのことを
「テクノロジー企業だ」というふうに言うわけです。
つまり、
「Appleとも競争しているし、
 Facebookとも、Amazonとも競争している。
 自動運転の自動車の分野では、
 世界の自動車メーカーとも競合している」
ということを言って、
自分たちの企業をテクノロジー企業だと
定義しようとするわけです。
そうすることで、自分たちは
厳しい競争にさらされているのだと主張することができ、
当局から独禁法違反に問われることもないわけです。

いまの話と対になることをお話ししましょう。
みなさんの中には、今日の話を聞いて
「ピーターが言っていることには、まったく賛成できない。
 自分は東京でレストランを開く」
と思って会場を出る人がいるかもしれません。
しかし、実際にレストランを開業しようとすると
いろいろと困難に直面することになるでしょう。
たとえば、資本を調達するのが難しい。
そんな事業をスタートさせるのはたいへんだよ、
と言われて、投資を受けることもできない。

そうすると、ある種のフィクションを
つくりたくなってしまうんですね。
どうするかというと、
これから自分が立ち上げようとする事業を、
非現実的なほどに狭く定義しようとするのです。
たとえば、お店をアピールするために、
その人はこんなふうに言うでしょう。
「うちの店は、イギリス料理とネパール料理が
 融合したユニークなレストランで、
 東京では、うち以外にこんなお店はないんだ」と。
たしかに、それだとオリジナリティが感じられて、
唯一無二の事業だといえるかもしれませんが、
それは、現実を歪曲して、
市場を狭く定義してごまかしているにすぎません。

このような形で、事業の競争環境は
いつも歪曲されて理解されていると思います。
実際、Googleの人と話をすると、
トップの5人か10人くらいしか、
私がいまお話ししたことを理解していません。
残りの大勢の社員に
「Googleがなぜ成功しているのか?」と聞くと、
それぞれが独自の解釈を展開します。
たとえば、
「素晴らしい福利厚生があるから」
「優秀な人材がこの企業を伸ばしているから」
「オフィスでマッサージを無料で受けられたり、
 床に大きなクッションが置いてあったりするから」
そんなふうに語ったりします。
事業モデルの観点とは、
まったくかけ離れた解釈しか出てこないのです。
つまり「独占」について
十分に理解されていないということです。

(画像ソース)

「賛成する人がほとんどいない、大切な真実はなんだろう?」

もし、「教育分野」に限定してこの質問をされたら、ぼくはこう答えるだろう。

「長年続いた『新しい教育』と『人生を変える教育』の対立に、何らかの方法で終止符を打たないことには、21世紀の教育はあまり良くならないと思う。」

どうすれば終止符を打てるのか、果たして終止符を打つことが可能なのかは分からない。だが、これ以上の結論は、いまのぼくには出せそうにもない。

最後にぼくからお願いがある。

もしあなたも教育に興味があるのなら、あなたにとっての「教育において、賛成する人がほとんどいない、大切な真実」とは何か、考えてみてほしい。べつに、そんなことを考えなくても教育に貢献はできるが、どうせなら、ぼくは「大切な真実」を考えたことがある人と話したい。

というわけで、もう一度。「教育において、賛成する人がほとんどいない、大切な真実はなんだろう?」

ありがとうございました

ベストセラー「統計学が最強の学問である」の著者・西内啓氏は、同著の冒頭にこう書いています。

不思議なもので、教育という分野に関しては、まったくといっていいほどの素人でも自分の意見を述べたがるという現象がしばしばおこる。

ぼくも教育に関しては素人です。だから、「教育とはこうあるべき」とは敢えて主張せずに、「読者のみなさんにとって、教育について考えるきっかけになれば」と思いながら、この記事を書きました。

他記事へのリンク

この記事は約2万8000文字・原稿用紙70枚分の長さでした。一年前に書いた翻訳記事「ビジネス・イン・ジャパン」も同じく約2万8000文字だったので、長文が好きな方はそちらもどうぞ。

文中でいくつか触れた、以前ぼくが教育について書いた記事へのリンクも再掲しておきます。

さらに、ぼくの記事ではないですが、Kenryu Satoくんの「日本の公教育をより良くするためには」という記事もおすすめです。

公開後の加筆など

ツイッターでいくつかご指摘を受けたので、公開後に加筆した部分があります。こちらからご覧になれます

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  1. 引用元をここに表記します。

  2. 厚切りジェイソン氏が卒業したのは中西部の名門・イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校で、ぼくが卒業したのはペンシルバニア州・ピッツバーグ市のカーネギーメロン大学である。ペンシルバニア州は厳密には中西部ではないが、州の西端にあるピッツバーグ市は中西部だ、という意見も根強い (参考)。また、ぼくはコンピューターサイエンス学科の大学院を出たのだが、学位はMaster of Human-Computer Interactionだった。

  3. Ravitch, D. (1983). The troubled crusade: American education, 1945-1980. New York: Basic Books. (pp. 44-45)

  4. Ravitch, D. (1983). The troubled crusade: American education, 1945-1980. New York: Basic Books. (pp. 47-48)

  5. Ravitch, D. (1983). The troubled crusade: American education, 1945-1980. New York: Basic Books. (pp. 49)

  6. Ravitch, D. (1983). The troubled crusade: American education, 1945-1980. New York: Basic Books. (pp. 51)

  7. Ravitch, D. (1983). The troubled crusade: American education, 1945-1980. New York: Basic Books. (pp. 52)

  8. Ravitch, D. (1983). The troubled crusade: American education, 1945-1980. New York: Basic Books. (pp. 43)

  9. Ravitch, D. (1983). The troubled crusade: American education, 1945-1980. New York: Basic Books. (pp. 56-57, 61-63, 67-68)

  10. Ravitch, D. (1983). The troubled crusade: American education, 1945-1980. New York: Basic Books. (pp. 68)

  11. Ravitch, D. (1983). The troubled crusade: American education, 1945-1980. New York: Basic Books. (pp. 69)

  12. Ravitch, D. (1983). The troubled crusade: American education, 1945-1980. New York: Basic Books. (pp. 54)

  13. Ravitch, D. (1983). The troubled crusade: American education, 1945-1980. New York: Basic Books. (pp. 58)

  14. Ravitch, D. (1983). The troubled crusade: American education, 1945-1980. New York: Basic Books. (pp. 59)

  15. Ravitch, D. (1983). The troubled crusade: American education, 1945-1980. New York: Basic Books. (pp. 60-61)

  16. Ravitch, D. (1983). The troubled crusade: American education, 1945-1980. New York: Basic Books. (pp. 71)

  17. Ravitch, D. (1983). The troubled crusade: American education, 1945-1980. New York: Basic Books. (pp. 72)

  18. Ravitch, D. (1983). The troubled crusade: American education, 1945-1980. New York: Basic Books. (pp. 74-75)

  19. Ravitch, D. (1983). The troubled crusade: American education, 1945-1980. New York: Basic Books. (pp. 75-77)

  20. Ravitch, D. (1983). The troubled crusade: American education, 1945-1980. New York: Basic Books. (pp. 74)

  21. Ravitch, D. (1983). The troubled crusade: American education, 1945-1980. New York: Basic Books. (pp. 55)

  22. Ravitch, D. (1983). The troubled crusade: American education, 1945-1980. New York: Basic Books. (pp. 79)